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バロック美術

17世紀にヨーロッパで主流となった美術の様式。前代のルネサンス様式の均整のとれた美しさに対して、規範から逸脱して豪壮さや華麗さを競った。18世紀には洗練されたロココ様式が主流となる。

 バロックとは「極端な」とか「誇張した」という意味を持つ言葉。原義は「歪んだ真珠」という意味だとも言う。芸術史上のバロックとは、17世紀の西欧における、絵画、建築さらに音楽などに見られる芸術様式。ルネサンス様式の人間のもつ均整のとれた格調の高い美しさの探求にあきたらず、あえて破格な誇張や逸脱を建築や美術に持ち込んだ。もともとこの言葉は、次の古典主義の時代の芸術家が否定的に用いたことから始まる。
 まず建築においてバロックと言われる新様式が1630年代のローマに生まれ、オーストリアのハプスブルク帝国の都ウィーンなどで開花し、18世紀半ばまでイタリアをはじめ、フランス、スペイン、フランドル、オランダ、ドイツなどで流行した、とされる。バロック美術の特徴は、華麗でダイナミックな様式という。
 建築では代表的なバロック建築としてフランスのルイ14世が建造したヴェルサイユ宮殿があげられ、豪壮華麗なバロック様式の典型とされる。それ以外にもヨーロッパの絶対王政を採る諸国の国王は、ハプスブルク帝国ウィーンのシェーンブルン宮殿(建物はバロック様式であるが内部の装飾はロココ様式)、スペイン=ハプルブルク家マドリードのエスコリアル宮殿などがある。
 絵画ではフランドルのルーベンスファン=ダイク、スペインのエル=グレコベラスケスなどがその代表的な作者である。
 なお、フランスの絵画ではバロックの影響も強かったが、ニコラ=プーサン(1594~1665)のように、落ち着いた安定した古典主義的な様式を成立させていた。その代表作は『アルカディアの牧人たち』である。フランスの絵画はルイ14世の時に創設された芸術アカデミーが美術行政の中心となり「アカデミズム」を形成していった。
 ルイ14世のもとで繁栄を誇ったバロック様式の芸術も、ルイ14世の死(1715年)とともに転機を迎え、次のルイ15世の宮廷を中心にその反動とも言える繊細優美な美術様式であるロココ美術(代表的建築はプロイセンのポツダムにフリードリヒ2世が作ったサンスーシ宮殿)が登場することとなる。

バロック美術の同時代

 ヨーロッパの宮廷を中心にバロック美術が花咲いた17世紀とは、いかなる時代だったか。それはヨーロッパにおける17世紀の危機といわれる、危機の時代だった。前世紀の宗教改革から始まったキリスト教の新旧対立は、深刻な宗教戦争となってヨーロッパに戦火にもたらした。その最大のものが1618~48年の三十年戦争であり、特にドイツはその戦争のために国土の荒廃が著しかった。イギリスのピューリタン革命名誉革命も一種の宗教戦争であった。フランスでは前世紀に宗教内戦であったユグノー戦争を克服したブルボン朝の王権強化に対して、貴族や農民が反発したフロンドの乱が1648年に起こっている。その他、ヨーロッパ各地で反封建の動きが起こったが、この時期の宮廷で展開されたバロック美術、および18世のロココ美術は、最後の貴族文化の輝きであったと言える。そして18世紀にはフランスに啓蒙思想が起こり、新たな文化の担い手として市民が台頭し、その文化の展開される場も宮廷や貴族のサロンから、市民の集うコーヒーサロンなどへと移行していくのである。

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