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フィラデルフィア

ペンシルヴェニアの中心都市で、アメリカ独立戦争中に、大陸会議が開催され、独立後一時首都となった。「友愛」を意味するギリシア語から名づけられた。

フィラデルフィア 自由の鐘
フィラデルフィア
自由の鐘(liberty bell)
(トリップアドバイザー提供)
 フィラデルフィアはアメリカ合衆国ペンシルヴァニア州の中心都市。1682年に、ウィリアム=ペンが、クェーカー教徒をひきいて入植地を開き、その中心地を彼らが理想とした「友愛」を意味するギリシア語からフィラデルフィアと命名した。phil は「愛」を、adelphi は「兄弟」を意味するギリシア語。

アメリカ独立戦争の拠点

 本国イギリスの経済的圧迫が強まる中、1774年9月、13植民地(当初は12植民地、後にジョージアが加わる)の代表がこの地に集まり、第1回大陸会議がこの地で開催され、イギリス本国との通商断絶同盟(アソシエイション)を結成、独立の気運が高まり、1775年4月にボストン郊外で衝突し、アメリカ独立戦争が始まった。
 1775年5月の第2回大陸会議もフィラデルフィアで開催され、ワシントンを司令官に選出、1776年7月には、ジェファソンが起草したアメリカ独立宣言を7月4日に全会一致で採決した。
 独立戦争終結後、1787年には憲法制定会議が開催された。フィラデルフィアは、1790年に新首都ワシントン特別区に移転するまでの10年間の首都であった。
(引用)連邦中最大の都市フィラデルフィアは、王領植民地ではなかったので君主制の伝統は弱く、ニューヨークのような「8共和主義者の貴族社会」の勢力は強くなかった。宗教的にも反国教会派の拠点で、科学的研究と合理主義との中心地となっていた。ベンジャミン=フランクリンが発起した「アメリカ哲学教会」が市民を活気づけていた。<ビーアド『新編アメリカ合衆国史』p.150>
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