ウェリントン
イギリスの軍人、政治家。1815年、ワーテルローの戦いでナポレオン軍を破り、その再起をくじいた。トーリ党政治家として、1820年代の諸改革にも取り組んだ。
BRITAIN'S STORY Told in Pictures p.56
軍人としてのあゆみ
軍人としてのウェリントンはまずインドでのマラーター戦争(第2次)に参加し、その後もインドを転戦して名声をあげ、帰国して1806年、トーリー党から下院議員に立候補して当選、アイルランド担当相を務めた。その前年の1805年にはフランス皇帝ナポレオンに対してイギリスは第3回対仏大同盟を結成し、トラファルガーの海戦でフランス軍を破った。ナポレオンはイギリス侵攻を諦め、アウステルリッツの戦いに臨み、勝利を収めて大陸制覇を進め、1806年に大陸封鎖令を出してイギリスに圧力をかけた。そのような時期にウェリントンにはナポレオン軍と対抗するイギリス軍の指揮者としての役割を担わせることとなった。スペイン遠征軍を指揮
イギリスとの経済的つながりの強いポルトガルが大陸封鎖令に従わないことを理由にナポレオンはポルトガルに出兵、さらに1808年にスペインに軍隊を派遣し、兄ジョセフをスペイン王に据えてイベリア半島全域に支配を及ぼそうとした。それに対して民衆によるスペインの反乱(スペイン独立戦争)が起きると、ポルトガルにも波及して、反仏蜂起が始まった。半島戦争 イギリスはウェリントンを遠征軍指揮官任じて支援を命じ、1808年8月、ポルトガルに上陸し、ポルトガルの反乱軍を助けてフランス軍と戦った。スペイン・ポルトガルの反仏闘争に手を焼いたナポレオンは1808年11月、自ら大陸軍(フランス軍をそう呼んだ)を率いてスペインに侵攻、12月4日にはマドリードに入城した。ウェリントン軍はポルトガルからスペインに進撃して、スペインのゲリラと協力しながら各地でナポレオン軍を破った。このスペイン戦線でのナポレオン軍とイギリス軍の攻防はさらに続いたが、ナポレオンがここで勝利を収められなかったことは、その大陸支配のつまずきの第一歩となった。ナポレオンは態勢の挽回をねらい方向を転換、1812年6月、ロシア遠征に向かった。フランス軍主力がロシア遠征に転じたためスペインが手薄になったことで、7月、ウェリントンのイギリス軍はスペインのゲリラと協力してフランス軍を破り、ウェリントンはさらに軍をフランス領内に進めた。ナポレオンがロシア遠征に失敗したのとほぼ同時にフランス軍はスペインでも敗北したこととなり、1814年6月までにスペインからも撤退した。
対仏連合軍総司令官となる
ロシア遠征で敗北したナポレオンは、起死回生をねらって1813年10月に第4回対仏大同盟連合軍とのライプツィヒの戦いに臨んだが敗れ、翌1814年3月、パリが陥落したので、4月ついに退位し、エルバ島に移された。それをうけて同1814年9月、ヨーロッパ列国の代表団によるウィーン会議が開催された。イギリス使節に外相カスルレーが就任、ウェリントンも代表の一人として参加、カスルレーの死後、全権となった。ところが翌1815年2月、突如ナポレオンがエルバ島を脱出、途中軍隊を招集しながらパリに向かっているという知らせがはいり、急遽、対仏連合軍が作られることとなってウェリントンが総司令官に選ばれた。こうしてウェリントンはナポレオンとの最後の対決をむかえることとなった。
ワーテルローでナポレオンを破る
国民の熱狂的な支持を受けてフランス皇帝に返り咲いたナポレオンは、急速に軍隊を組織、北部国境のベルギー方面に向かった。対するウェリントンの連合軍は国境近くのワーテルローで待ち受け、1815年6月、ワーテルローの戦いとなった。この戦争でナポレオン軍を迎え撃ったウェリントンは、巧みな軍の統率で勝利を占め、ナポレオンのヨーロッパ再征服の野望を打ち砕いた。トーリ党を率い首相となる
ウェリントンはこのナポレオンとの最後の戦争で勝利した将軍として名声を高め、国民的英雄となったが、その後は政治家としても重要な働きをした。政治家としてのウェリントンは、トーリ党の政治家としても、ピット亡き後のイギリスを牽引した。時代はヨーロッパ大陸諸国がウィーン体制下にあり、保守反動の時代であったが、彼は保守一辺倒ではなく、改革にも積極的であって、自由主義的改革にも取り組み、1828年の審査法の廃止、1829年のカトリック教徒解放法の制定の時の首相であった。1830年9月のリヴァプール・マンチェスター鉄道の開通式にも首相として参列している。しかし、産業革命の進行と共に強まった選挙法改正については、一貫して反対し、1830年11月、ホイッグ党が主導した不信任動議が可決されたため、ウェリントンは首相の座を自任した。首相退任後も保守派トーリ党の上院議員として重きをなし、1832年にホイッグ党のグレイ内閣が改正案を提出したときには、世論の大勢は選挙法改正の方に向かっていると判断し、上院の議場から反対派100人の議員を率いて退出、そのため第1回選挙法改正の成立が妨げられることはなかった。
Episode セントポール寺院地下の霊柩車
(引用)イギリス国教会の大聖堂、ロンドンのセントポール寺院の地下室に、イギリス人の精神構造を物語るグロテスクな、しかしきわめて興味深い歴史的遺物がある。セントポール寺院の地下は墓場になっており、ネルソンとウェリントンのばかでかい墓がある。・・・その地下室の一番奥に、高さ7、8メートル、長さ10数メートルもある無骨な格好をした車がある。全部が鉄製でゴテゴテとした模様が刻まれており、前のほうには怪獣のひげのように剣や胄がくっつけてある。・・・なんであろうといぶかって説明書きを読んでみると、ウェリントンの墓であった。・・・この霊柩車は(ナポレオンとの戦いにおいて)ウェリントンがフランス軍から捕獲した大砲や銃を鋳つぶして作ったものである。・・・(1852年)彼の遺体は、この霊柩車にのせられて、病院からセントポールまで運ばれたという次第である。・・・<吉岡昭彦『インドとイギリス』1975 岩波新書 p.186>