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崔済愚

さいせいぐ(チェジェウ)。19世紀半ばに朝鮮で東学という民間信仰を拡げた。1864年に処刑されたが、その思想は農民に広く支持され、1880年代に農民反乱の原動力と名手行き、94年に「甲午農民戦争」が起こった。

 19世紀半ばの朝鮮王朝で、没落した両班であった崔済愚は、西欧諸国の朝鮮侵略の現実に直面して危機を感じ、西欧に対抗するためにはその宗教であるキリスト教(西学)に対して、東学、つまり東洋の教理を強めることを唱えた。
 東学が目指すのは人と天を一体化させ、地上に天国を実現するというものであり、呪文を唱えるなどわかりやすい教義であったので、民衆に急速に広がった。朝鮮王朝の大院君政府は東学の広がりを危険な思想と考え、1863年に教祖崔済愚を捕らえて翌年処刑した。二代目教祖崔時亨は、崔済愚は無実であるとしてさらに活動を広め、秘密組織を作っていった。その一人、全琫準が1894年に農民に蜂起を呼びかけ、甲午農民戦争が勃発した。
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