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マルトフ

ロシアの社会主義者でメンシェヴィキの指導者。

 マルトフ 1873~1923 は、1895年、レーニンらと労働者階級解放闘争同盟を組織。ストライキの指導に当たり捕らえられてシベリア流刑となる。脱走した後亡命し、ロシア社会民主労働党の機関誌『イスクラ』の編集にあたる。1903年7月の同党の事実上の結成大会でレーニンらボリシェヴィキと対立、プレハーノフらとメンシェヴィキの指導者となった。
 第一次世界大戦中は祖国防衛派と言われたが、やがて反戦運動を組織し、二月革命後にロシアにもどり革命に参加した。十月革命(十一月革命)では全ロシア=ソヴィエト会議に参加し、ボリシェヴィキ以外のメンシェヴィキやエスエル左派との結集を目指したが、ボリシェヴィキ独裁を目指すトロツキーらに批判され、ソヴィエト政権には距離を置くようになり、1921年にドイツに亡命した。

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