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スワラージ

1906年のインド国民会議派の四大綱領の一つで自治を意味する。

 スワは「自己」、ラジは「統制」を意味するので、スワラージで「自治」となる。1906年12月のインド国民会議派が、イギリスのベンガル分割令制定に抗議して掲げたカルカッタ大会四綱領の第3項。しかし、自治の中身については、イギリス統治の下での自治を当面目標とする穏健派と、「完全な自治」=独立(プールナ=スワラージ)を目指す過激派が対立するようになる。 → イギリスのインド植民地支配と民族運動
 第一次世界大戦後、国民会議派の運動はガンディーによって指導されるようになったが、その非暴力・不服従運動(第1次)も自治要求にとどまっていた。イギリスの対応は、第一次世界大戦後の自治を約束していながら、それは形式的なものにとどまり、インドの反英闘争も次第に完全な自治、つまり独立を要求するようになった。1929年、国民会議派はラホールで大会を開催し、ネルーら急進派の主張が通って、プールナ=スワラージを要求することが決議され、それをうけてガンディーは第2次非暴力・不服従運動を開始し、イギリスとの対決姿勢を強めていくこととなる。
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