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アメリカの金本位制停止

世界恐慌期の1933年、アメリカのF=ローズヴェルト大統領が、ドル流出防止策としてに実施。世界の金本位制が崩壊した。

 1933年3月に就任したアメリカ合衆国のF=ローズヴェルト大統領が、世界恐慌対策として、銀行倒産などの金融不安解消のために、1933年4月19日、金本位制停止に踏み切った。これは、ドルと金の交換を停止して、アメリカのドルの流出を防止しようとしたものであり、これによってアメリカ合衆国は連邦準備制度による管理通貨制度を採ることとなった。すでに1931年にイギリス、日本が金本位制離脱(金輸出の再禁止)に踏み入っていたので、世界的にも金本位制は崩壊し、管理通貨制度の時代へと転換した。

要因としての金融危機

 1929年10月24日にはじまる世界恐慌で株式が大暴落したが、同時に銀行の倒産が起こったわけではなく、銀行倒産は約1年後の30年から次第に増え始め、33年にはピークに達して爆発的に増加した。恐慌が長期化し、さらに31年にイギリスが金本位制を停止(離脱)し、ポンドを切り下げたため、アメリカの金が流出することとなったことが要因としてあげられる。金融不安から預金者が一斉に預金引き出し(取り付け)に動き、銀行破産が急増した。

F=ローズヴェルトの金融不安解消策

 就任直後の1933年3月9日(木曜)に緊急銀行法を特別議会にかけて成立させ、銀行休業日を無期限延長して取り付け騒ぎを抑えた。さらに10日(金曜)には緊縮財政法を通し、大統領・議員・政府職員などの給与の15%削減、軍人恩給の削減などを打ち出した。そして日曜日にはラジオの「炉辺談話」で銀行の営業再開を約束、国民に預金を訴えた。月曜には安心した国民が現金を預金につめかけ、「資本主義は8日で救われた」と言われた。<林敏彦『大恐慌のアメリカ』1988 岩波新書 p.125-128>

金本位制の停止とドル切下げ

 3月の銀行休日宣言の際に金銀貨・地金の輸出を先ず禁止し、4月5日には金貨等の退蔵(使わずにしまい込むこと)が禁止され、1933年4月19日に金輸出禁止令によってドルと金の兌換が最終的に禁止された。ドルは他のすべての通貨とフロート(浮動、連動して発行される)ようになり、ドル切下げはこの時点ではじまったといえる。ドルが下落したことによってアメリカの輸出品、例えば綿花などの輸出が勢いを盛り返した。
 同1933年6月、世界恐慌の通貨問題を話し合うためのロンドン世界通貨経済会議が開催され、金本位制を維持しているフランス・イタリア(金ブロック諸国)と、停止したイギリス・アメリカ・日本などが対立した。金ブロック諸国は停止国に将来的な金本位制への復帰を宣言することを迫ったが、アメリカ発よく拒否して物別れに終わった。

管理通貨制度への移行

 1934年1月、金準備法が制定され、これによって連邦準備銀行から財務省に金貨と金地金がすべて引き渡され、財務省が唯一の合法的な金保有者となった。F=ローズヴェルトはドルの金価格を約40%切り下げて、当時の実勢に近い金1オンス=35ドルに固定し、管理通貨制度への移行を完了した。ドル切下げと金本位制離脱=管理通貨制の採用によって、国内物価引き上げを優先して(国際的な為替安定を犠牲にして)国民的要求に応えたと言うことが出来る。<秋元英一『世界大恐慌』1999 講談社学術文庫 p.182-183>
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