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創氏改名

日本に植民地支配されていた朝鮮で1940年から皇民化政策の一環として実行された、それまで朝鮮になかった「氏」を創設し、名を日本風に改めることを強制した政策。

 日本の朝鮮植民地支配が続く1940年、朝鮮において皇民化政策の一つとして創氏改名が行われた。朝鮮に固有な男系の血統による「姓」を日本式の家の呼称である「氏」に変えることで「家制度」を確立し、これにともなって法律上の「本名」は朝鮮式の「姓」から日本式の「氏」に改められた。<小林英夫『日本のアジア侵略』世界史リブレット p.72 山川出版社>

創氏改名の理解に向けて

背景 日中戦争が行き詰まるなか、1939年9月第二次世界大戦が開始されると、近衛文麿内閣はヨーロッパにおけるドイツ・イタリアの覇権による新秩序に倣って、アジアにおいても東亜新秩序の形成を進めようとした。40年にはドイツがオランダ・フランスを制圧したことを受け、第2次近衛内閣は「大東亜新秩序」をとなえた。これらの政策のなかから、「大東亜共栄圏」構想を具体化していった。朝鮮と台湾では、完全な日本との同化をすすめるべく皇民化政策が推進され、さらに翌41年12月の太平洋戦争の開始に伴い、皇民化政策は日本軍が占領した東南アジア諸地域に拡大されていった。
内容 すでに「大日本帝国」の版図とされていた朝鮮においては皇民化政策(内鮮一体化、日本と朝鮮を同一にする意味)の具体策として創氏改名が強制された。朝鮮総督府による「創氏改名」の強制は次にように行われた。
 1939年11、12月に改正朝鮮民事令および関係法令が公布され、翌40年2月11日に施行された。その内容は(1)2月11日から6ヶ月以内に氏を設定し届け出ることを義務とする。(2)届出がない場合は、戸主の姓を氏とする。(3)名を日本人風に変える場合は、裁判所の許可を受けた後、届出をして戸籍上の名を改める。というもので、つまり、氏の設定は義務であり届け出なければならず、改名は任意で許可を受ける、というものであった。
創氏の意味 「創氏改名」は、「創氏」と「改名」からなり、意味が違う。より重要なのは「創氏」であるが、日本の習慣から見ると誤解しやすいので注意を要する。朝鮮の姓を日本風の姓に変える、といった単純なことではない。その前に朝鮮の姓と名の習慣を知る必要がある。朝鮮人の名前は、本貫・姓・名の三要素で構成される。本貫とはある宗族集団(氏族集団とも言う)の始祖の出身地名であり、例えば金という姓でも金海金、慶州金などがあって、原則として同一本貫の結婚は出来ない。姓は金、李、朴など通常漢字一字で、父親の姓を継ぎ、一生変わらないのが原則である。したがって女性は結婚しても夫の姓ではなく父の姓を名乗り続ける(この点が日本の習慣と最も異なる点である)。名は男性の場合、氏族集団のなかで 同一世代は共通の一字を入れる。つまり、日本の場合は父系の「氏」を称するのが一家族とされ、結婚すれば妻は夫の姓に変えるのが通常であるが、朝鮮の場合は伝統的に夫婦別姓であった。それは日本の家父長制的な家族制度から見れば異常なことと朝鮮総督府の当局者はとらえたのであろう。 → 両班
創氏のねらい したがって、「創氏」とは、日本のイエと同じように夫の姓で統一して「氏」とせよ、ということであり、夫婦別姓を禁止する意味があった。総督府は「氏制度の解説」などのパンフレットを作り、血縁集団の称号である姓の制度は中国のそれを導入したにすぎず、中国文化の影響を払拭して近代化するためには、氏制度を導入しなければならないと説いた。それでは日本式の「氏制度」とは何かというと、個々の夫婦は同姓であり、家父長に率いられて「氏=イエ」を構成し、「戸籍」に登録され、国家というイエの家父長である天皇に直結している「制度」なのであった。朝鮮では個人(男性だけだが)は宗族の原簿である「族譜」に記載されるが、「戸籍」は無かったので、創氏と同時に戸籍制度が導入されたのだった。つまり、朝鮮の本貫という宗族集団を否定して、「氏」(家父長のもとで夫婦・子どもを同姓とする)を創出し、「戸籍」に登録する、というのが「創氏」の意味であった。
 「創氏」の真の狙いは、水野氏が端的にまとめた次の文につきるであろう。
(引用)朝鮮的な家族制度、特に父系血統にもとづく宗族集団の力を弱め、日本的なイエ制度を導入して天皇への忠誠心を植え付けることである。・・・朝鮮人を「血族中心主義」から脱却させて「天皇を中心とする国体」の観念、「皇室中心主義」を植え付けること――これが創氏の真のねらいだったのである。<水野直樹『創氏改名―日本の朝鮮支配のなかで』2008 岩波新書 p.50,52>

創氏改名の誤解

 日本の朝鮮植民地支配の歴史のなかで朝鮮総督府という植民地当局によって「創氏改名」という施策がとられたことは事実であるが、その内容や評価については誤解がかなりある。現代の為政者のなかにも時折誤解に基づいた発言をしてひんしゅくを買うことが続いている。例えば、2003年5月に当時自民党政調会長だった麻生太郎氏は「創氏改名は、朝鮮の人たちが“名字をくれ”と言ったのがそもそもの始まりだ」と発言し、韓国側から非難され、「言葉が足りなかったことをお詫びする」と釈明(発言自体は取り消さなかった)したことがあった。それ以前にも日本政府の公式見解は、創氏改名は「8割は実施されたが2割は創氏されておらず、強制ではなかった」とか「強制があったとすれば総督府ではなく、末端の朝鮮人役人が成績を上げようとしてやったことだ」などと説明し、いかにも弁解じみていた。
 1993年訪韓した細川護煕首相は談話として植民地支配のなかで「母国語教育の機会を奪われ、自分の姓名を日本式に改名させらるなど、誠に様々な形で耐え難い悲しみと苦しみを経験させられたこと」を陳謝した。これが最低限の正しい理解であろう。
創氏改名は強制されたか 創氏改名については、・朝鮮姓のままだった者もおり、必ずしも強制ではなかった、・創氏は義務だったが改名は任意だったから全体として強制とは言えない、・満州や日本にいた朝鮮人は日本名を望んだ、・戸籍に姓は残ったので、朝鮮人の名前を奪ったとは言えない。などが強制説に対する批判として出されている。しかし、創氏改名が法令として定められ、末端の行政まで届出が追求されていたことは事実であり、またそれが完全に出来なかったことも事実である。さまざなま抜け穴もあったらしい。それは不法に対する抵抗であり、法の正当性の証明にはならない。これらの創氏改名に対する意図的な「誤解」は依然として、朝鮮や台湾などの植民地支配は悪かったのではなく、よいことがたくさんあった、と思い込みたい気分から来るのであろう。
 創氏改名と並行して、朝鮮では徴兵制が施行された。『創氏改名』の著者水野直樹氏は慎重にこの両政策を結びつける史料はないとして、創氏改名が徴兵制実施の前提であったという説は否定しているが、植民地支配の危機が迫るなか、出されたこれらの政策が底流において結びついていることは疑えない。<以上、水野直樹『創氏改名―日本の朝鮮支配のなかで』2008 岩波新書 による>
 → 台湾の創氏改名については李登輝の項を参照。

Episode 梶山季之の『族譜』

 朝鮮植民地時代の創氏改名を扱った文学に梶山季之の『族譜』がある。梶山は大衆作家として著名になったが、この作品は若いころの作品で、彼自身が朝鮮で育ったことから朝鮮を題材にした一連の作品を残しており、その一つであるこの作品は高い評価を受け、韓国では映画化もされている。『族譜』とは、朝鮮のいわゆる宗族(氏族集団)が代々書き継いでいる家系図であり、朝鮮の人々が先祖から受け継いだ最も貴重なものとして受け継いでいる。この小説は、朝鮮総督府に創氏改名を強制されたことによって、姓を奪われることは『族譜』を断絶することであり、先祖を裏切ることになると悲しんだ朝鮮の地方名士と、それを説得しなければならない総督府の日本人役人の葛藤を描いている。実際には族譜がなくなるようなことはなかったので、梶山の作品には誤解もあるようだが(詳しくは前掲の水野氏の著作を参照)、朝鮮植民地の官吏であった日本人の苦悩がよく描かれていて、無邪気な植民地礼賛を戒める意味でも一読し見るとよい。<梶山季之『族譜・李朝残影』1961 発表 2007 岩波現代文庫>

創氏改名への抵抗

 朝鮮の慶尚北道のある村の両班の家系に生まれ、1930年代の日本植民地時代に少年期をすごし、戦後日本に渡って朝鮮文学の研究者となった尹学準氏の『オンドル夜話―現代両班考』にはこのような一節がある。
(引用)退渓(16世紀の朝鮮王朝で朱子学を定着させた大学者李退渓)の宗家がある礼安の李氏たちは、この創氏改名を最後まで拒み通した。周知のよう日本は1939年12月に「創氏改名令」を発布して、朝鮮人の名前を日本人の名前のように変える政策をとった。民族意識を抹殺するための政策である。祖先から受けついだ血、その表徴である姓氏をなによりも根本的大事と考える朝鮮民族だったから、さまざまな抵抗があった。だが結果的にはほとんどの人たちが日本式氏名に変えざるを得なかった。祖先に申し訳が立たないといって自殺した人もいる。ある人は自嘲をこめて「江原野原」と改名した。「エハラノハラ」とは朝鮮語で「えいくそ!どうにでもなりやがれ」という意味の民謡のはやし言葉である。このような状況で創氏改名を最後まで拒み通すことができたのは、やはり李退渓の威光(?)によるものだろう。<尹学準『オンドル夜話―現代両班考』1983 中公新書 p.52>
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書籍案内

水野直樹
『創氏改名―日本の朝鮮支配のなかで』
2008 岩波新書

梶山季之
『族譜・李朝残影』
2007 岩波現代文庫

尹学準
『オンドル夜話
―現代両班考』
1983 中公新書』