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国際通貨基金/IMF

ブレトン=ウッズ会議で設立され、国際連合の専門機関となった国際金融機関。

 国際通貨基金(International Monetary Fund)は、ブレトン=ウッズ会議で成立したブレトン=ウッズ協定(1944)に基づき、1945年に成立したIMF協定により、46年3月に設立され、47年3月より業務を開始した、国際金融機関。国際連合の専門機関の一つ。本部はアメリカのワシントンDCにあり、現在の加盟国は184ヵ国。日本は1952年に加盟した。

ブレトン=ウッズ体制を支える機関

 ブレトン=ウッズ体制は第二次世界大戦前の世界経済が各国の平価切り下げ競争によって崩壊したとの反省に立ち、為替の自由と安定化を課題とし国際復興開発銀行(IBRD)とこの国際通貨基金(IMF)を設立、ともに大戦後の国際通貨・金融取引の枠組みであるの中核とした。具体的にはドルを基準とする金1オンス=35ドルが公定価格とされ、ドルはいつでも金と交換でき、各国通貨はそれぞれ定められた平価(たとえば日本では1ドル=360円)の上下1%以内で為替相場を維持することが義務づけられた(相場の固定を各国間の協定と市場介入などによって維持する体制なので、「金・ドル本位制」といわれた)。
 国際通貨基金は、設立資金88億ドルのうち、アメリカは27.5億、イギリス13億、ソ連12億、中国5.5億、フランス4.5億、インド4億であり、アメリカが全体の3分の1を占めていた。

ブレトン=ウッズ体制崩壊後の役割

 1973年に国際通貨制度が変動相場制に移行しブレトン=ウッズ体制は終わりを迎えたが、国際通貨基金はそれまでの単なる協議機関から、加盟国の国際収支の不均衡を是正したり、発展途上国への支援をしたりするための融資を主な任務とするようになった。<石見徹『国際経済体制の再建から多極化へ』山川世界史リブレットなど>
 1997年のアジア通貨危機への対応や2010年のギリシア財政危機では、IMFは融資対象国に対し、融資を条件に厳しい財政改革(財政支出の削減)を要求したので、反発を受けることもあった。

IMFのワシントン・コンセンサス

 IMFと世界銀行は、発展途上諸国が強く求める融資を提供することと引き換えに、いわゆる「構造調整プログラム」の実施を要求した。これは債権国の意向を反映したものであり、1980年代に始まり1990年代に明確となってしばしば「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれた。それは1970年代にIMFのアドバイザーを務めたジョン・ウィリアムソンが考案し、体系化したもので、このプログラムに含まれる項目は主に70~80年代に多額の対外債務を抱えた諸国を念頭におき、その国内経済メカニズムを改革することで債務返済を可能にする状況を創り出すことを目的としていた。ウィリアムソンが明確にした構造調整は一連の新自由主義政策と結びついたもので、次の要求を債務国に求めた。
  1. 財政規律および財政赤字削減の保障
  2. 公共支出、特に軍事支出と行政支出の削減
  3. 課税ベースの拡大と実効性のある徴税を目指す税制改革
  4. 利子率の決定を市場に任せる金融の自由化
  5. 輸出主導の成長を支援できる、競争的な(割安な)為替レート
  6. 輸入許可制の廃止および関税の引下げをともなう貿易の自由化
  7. 外国直接投資の促進
  8. 国営企業民営化による経営効率化と業績向上
  9. 経済の規制緩和
  10. 財産権の保護
 この「ワシントン・コンセンサス」は債務諸国を「発展させる」という望まれた結果を生み出すことはめったになかった。はじめからアメリカの支配的なパワーの下でおこなわれたこの政策が、公共支出の削減を強いたことで、社会事業の削減、教育機会の縮小、環境汚染の悪化、そして多数の人々の貧困拡大を招いたためであった。2005年に発展途上諸国が債務返済に支出した額は3550億2550万ドルで、その大部分は返済期間を過ぎた債務利子の支払いに充てられた。最近になってようやくIMFと世界銀行は、特殊な場合の包括的な債務帳消しという新政策を検討し始めた。<マンフレッド・B・スティーガー/桜井公人他訳『新版グローバリゼーション』2010 岩波書店 p.61-64"> → グローバリゼーション

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