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プラザ合意

1985年、先進5カ国蔵相らが、アメリカのドル高を是正するため協調介入を強化し、ドル安共同歩調を採ることで合意した。

 1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルでの先進5ヵ国(アメリカ・フランス・イギリス・西ドイツ・日本)の蔵相・中央銀行総裁会議において、レーガン政権下のアメリカ経済の苦境を救済するため、ドル高を是正することに合意したこと。この合意に基づき、各国金融当局は協調介入に乗りだした結果、1ドル=240円台であったものが、1ドル=200円に一気にドル安・円高状況となり、アメリカの輸出の増大をもたらした。

アメリカ経済を危機から救済

 当時アメリカは、レーガン大統領の新自由主義の経済政策を進め、「小さな政府」を掲げて減税による景気浮揚をはかり、国の社会福祉関係予算の大幅削減するという「レーガノミクス」を進めたが、一方で国防費は削減しなかったので財政赤字が膨らんでいった。また日本や西ドイツの経済力が伸張したため工業製品の輸出も減少した。そのため1914年から続いた債権国(債権が債務を上まわる、つまり輸出が輸入を上まわる状態)から債務国に転落してしまった。それは財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」といわれて、アメリカ経済の凋落を象徴することとなった。しかし、アメリカ経済が落ちこんで購買力が低下することは、日本や西ドイツにとっても歓迎すべき事ではないので、資本主義先進国首脳は共倒れを防ぐために、アメリカを支援する必要があると考えた。
 つまりこの合意は、ドル高が続いてアメリカ経済が悪化することは世界経済全体に悪影響を及ぼすという大国間の利害の一致から、ドル相場を協力してドル価格を下げ、アメリカ製品の輸出を増やしてその経済を救ってやろうと言うことであった。こうして「ドル安」時代が始まり、同時にプラザ合意は、主要国が政策協調を行い、各国が為替相場に介入して調整するという経済調整の始まりとなった。 → 変動相場制
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