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ロードス島

エーゲ海の南、小アジアに近い島。ギリシア人の都市国家が造られ、交易・学問で栄えた。ローマ領、ビザンツ帝国領を経て、十字軍時代にはヨハネ騎士団の拠点となる。現在はギリシア領。

ロードス島
ロードス島の位置
地中海世界に含まれるエーゲ海の東側、小アジアに近いところに位置するドデカネス諸島の中の最大の島。ロドス島とも表記する。ギリシア系ドーリア人が移住しいくつかの都市国家を建設、ペルシアの侵攻に一時的に服した後、デロス同盟に加わり、後に三ポリスが合併してロードスを建国、東地中海の貿易で繁栄した。その後、ローマ領、ビザンツ帝国領、ヨハネ騎士団領、オスマン帝国領などを経て、現在はギリシア領となっている。位置的にはトルコに近いが、エーゲ海東岸の諸島と同じく、ギリシア文化圏に属している。

ヘレニズム時代からローマ時代へ

 ロードス島はヘレニズムにはエーゲ海の東南の入口に位置していることから、このしまをめぐってアンティゴノス朝マケドニアプトレマイオス朝エジプトが争い、勝利したプトレマイオス1世は救済者の称号を与えられ、島にプトレマイオンという神殿が建てられた。ヘレニズム時代を通して仲介貿易で栄え、自然科学や哲学者も活動し、ローマからも遊学するものが多かった。しかし、マケドニア戦争(前215~前167年)とそれに続いてコリントなどギリシア諸都市を征服したローマは、東地中海支配の拠点として、エーゲ海のまん中のデロス島を自由貿易港とし、イタリア商人やフェニキア商人の商館が設けられたため、ロードス島の繁栄は失われていった。その後、ロードス島は、ローマ帝国、ビザンツ帝国の支配を受けた。

Episode 古代の七不思議の一つ「ロードス島の巨像」

 ロードスはディアドコイ戦争に巻き込まれ、アンティゴノス朝マケドニアのデメトリオス1世(アンティゴノスの子)の攻撃を受けた。デメトリオスは「攻城者」と言われるほどその攻撃はすさまじかったが、ロードスはそれに耐えて守り通した。ロードス市はそれを記念して市神ヘリオス(太陽)の巨像を青銅で造った。これが古代の七不思議の一つに数えられているロードス島の巨像だが、前227/226年に倒壊し、現在は見ることが出来ない。

ヨハネ騎士団

 1291年十字軍運動の拠点アッコンが陥落してからは宗教騎士団の一つ、ヨハネ騎士団がこの地を本拠として活動するようになった。その後、いわばキリスト教世界のもっとも東の前哨基地となっており、また西イェルサレムをめざす巡礼をのせた船の中継地になっていたが、1522年オスマン帝国スレイマン1世によって征服され、騎士団はクレタ島に逃れた。
 1912年からはイタリア領となったが、第二次世界大戦後の1948年にギリシアに編入された。
注意 なんの関係もない『ロードス島戦記』 角川スニーカー文庫から発売(1988年)され、大人気となったライトノベルに『ロードス島戦記』(作者水野良)があるが、これは実在のロードス島とは全く関係のない、空想上の島です。ヨハネ騎士団の存在がインスピレーションになったのかも知れませんが、文字どおり荒唐無稽なものですので、参考にはなりません。
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