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シュリーマン

ドイツ人貿易商であったが、41才で引退後、1870~80年代にトロイアやミケーネの発掘を行い、エーゲ文明の存在を明らかにした。

 ハインリヒ=シュリーマン Schliemann 1822~1890 は北ドイツの貧しい牧師の子として生まれ、生計を立てるため商業学校に学んで商館の事務員や書記となり、商人として独立し、外国貿易で財をなすことに成功した。41歳で引退し、幼少のころに父から聞いたギリシア神話のトロヤやミケーネの実在を証明しようと考古学の勉強を開始、1870~80年代に次々と発掘を成功させ、ギリシア古代文明の解明に大きな功績を残した。シュリーマンの研究は現在では修正されていることが多いが、エーゲ文明の発見者として今でもその業績は消えることはない。

トロイアの発掘

 ホメロスの叙事詩『イリアス』では、遠い昔、ギリシア本土のアテネやスパルタなどの国々とトロイア王国の間で激しい戦争があり、アキレスやオデュッセウスなどの英雄が活躍したと伝えられていた。しかし、トロイアの位置はわからなくなってしまい、この戦争も伝説に過ぎないと考えられるようになっていた。シュリーマンは子供の頃聞いたトロイアが、小アジアのエーゲ海岸にあると考え、各地で調査にあたり、ついに1870年にヒッサリクの丘で遺跡を発見し、1871~73年の本格的な発掘でこれがトロイア(トロヤ)の遺跡であることを明らかにした。この発掘によってトロイア王国の存在とその位置が明らかになったので、シュリーマンはトロイア戦争が史実であると主張した。その後、トロイアの発掘は現在に至るまで続けられており、重層的な遺跡層の存在が明らかになっている。

ミケーネの発掘

 1876年にはシュリーマンは、ギリシア本土のミケーネの遺跡発掘を行った。そこでは巨大な王宮の城門(獅子門)や黄金のマスクが発見され、ミケーネ文明と名付けられた。シュリーマンはさらに1884年にはティリンスを発掘した。

シュリーマン以後

 これらのシュリーマンによる遺跡の発掘に続き、1900年にイギリスのエヴァンズクノッソス遺跡の発掘を行い、クレタ文明の存在も明らかにされ、エーゲ文明と総称される古代ギリシアの文明が、クレタ文明とミケーネ文明の二期からなることが明らかになった。シュリーマンの死後、ミケーネ文明期に用いられた線文字Bの解読が進み、その時代の社会の実態も明らかになり、シュリーマンの見解は、現在では多くの点で修正されている。

Episode シュリーマンの教える語学学習のコツ

 彼は貿易商として活躍する間に15カ国語を話せるようになったという。彼は言語修得のコツとしてこんな事を言っている。
(引用)私はあらゆる言語の習得を容易にする一方法を発見した。非常に多く音読すること、決して翻訳しないこと、毎日一時間をあてること、つねに興味ある対象について作文を書くこと、これを教師の指導によって訂正すること、前日直されたものを暗記して、次の時間に暗唱すること。私の記憶力は少年時代からほとんど訓練しなかったから、弱かったけれども、私はあらゆる瞬間を勉学のために利用した。まったく時を盗んだのである。……<シュリーマン/村田数之亮訳『古代への情熱』1891 岩波文庫 p.24>

参考 シュリーマンの見た幕末日本

 シュリーマンは41歳で商人としての活動をやめると、43才になった1865年に世界漫遊を思い立ち、インド洋から香港に入り、上海、北京を訪れた後、日本にもやってきている。その慶応元年の日本滞在は6月1日から7月4日、一ヶ月にすぎない梅雨の間であったが、シュリーマンは積極的に横浜・江戸を歩きまわり、八王子、原町田まで足を伸ばしている。その旅行記は日本語にも訳され『シュリーマン旅行記 清国・日本』として読むことができるが、ちょうど将軍徳川家茂が第2次長州征伐を奏上するため京都に向かう行列を見たことや、日本人の生活の観察など、幕末日本の一瞬が切り取られていて興味深い。シュリーマンはこの旅行から帰ってから旅行記をまとめて出版、最初の著作とした。そしてその後、44才になった1866年から本格的な考古学の研究を開始、1871年にトロイア発掘に着手したのだった。<シュリーマン/石井和子訳『シュリーマン旅行記 清国・日本』1998 講談社学術文庫>

Episode シュリーマンの見た日本の猫と犬

 シュリーマンの幕末日本の見聞記は、いろいろ興味深い記事があるが、詳しくは本文を読んでもらうこととして、当たり障りのない一節だけ紹介しよう。
(引用)われわれは愛宕山を降り、再び馬に乗って大君の城のまわりを一巡した。世界の他の地域と好対照をなしていることは何一つ書きもらすまいと思っている私としては、次のことはいわなくてはなるまい。すなわち日本の猫の尻尾は1インチあるかないかなのである。また犬は、ペテルスブルクやコンスタンティノープル、カイロ、カルカッタ、デリー、北京ではたいへん粗暴で、われわれの乗っている馬やラクダに吠えたて、追いかけ廻してきたものだが、日本の犬はとてもおとなしくて、吠えもせず道の真ん中に寝そべっている。われわれが近づいても、相変わらずそのままでいるので、犬を踏み殺さないよういつもよけて通らなければならない。<シュリーマン/石井和子訳『同上』p.129>
 もちろんシュリーマンの観察は、猫や犬だけではない。庶民の家庭団らんの様子や、公衆浴場の男女混浴など、驚きの目と同時に細やかな観察が行き届いている。面白い観察記録なので、ぜひご一読をオススメする。
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書籍案内

シュリーマン
/村田数之亮訳
『古代への情熱』
1976 岩波文庫

シュリーマン/石井和子訳
『シュリーマン旅行記
清国・日本』
1998 講談社学術文庫