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十二表法

前450年ごろ、古代ローマで慣習法を初めて成文法にしたもの。平民の身分闘争の成果であり、これ以後のローマ法の出発点となった。

 それまでローマの法律は神官に独占され、神官は貴族が独占していたため、平民は法律を知ることが出来なかった。聖山事件ののちも身分闘争を続けていた平民は、元老院に法律の公開を要求、元老院もその要求を容れて、議員3名をギリシアに派遣して立法者ソロンの業績を調査させ、帰国後十名からなる立法委員会が前451年から前450年にかけて、「十二表法」を編纂した。これがこれ以降の「ローマ法」の基本となるものである。<モンタネッリ『ローマの歴史』中公文庫 p.64 などによる>
 十二枚の板(材質は不明。銅板という説もあり、十二銅板表とも言われる)に書かれたので十二表法という。ただし、原文は伝わっておらず、現在では後世の引用文によって内容が判っているだけである。

十二表法の意義

 内容は旧来の慣習法を明文化したものであるが、それまで神官(貴族階級から選ばれる)が独占していた訴訟日程や手続きの決定に市民が関与し、市民の手による裁判が行われるようになった。つまりこれによって、「神のお告げ」としての裁判ではなく、法によって裁く裁判が始まったと言え、貴族と平民の身分闘争の中での、平民の権利を守る市民法が成立し、法の前においては貴族と平民は対等となったたということができる。

十二表法の内容

 復元された十二表法の主な内容は次のようなものである。
第1表(訴訟手続き)
  • もし(誰かが誰かを)法廷へ呼ぶならば(呼ばれた者は)出廷しなければならない。もし出廷しなければ(訴えた者は)証人を立てなければならない。その上でその者を捕らえることができる。
  • もし(被告が)欺くか、逃げるならば、(原告は)手を置く(逮捕する)ことができる。
  • もし和解しなければ、民会場か中央広場で、双方が出頭して申し立てしなければならない。
第2表(裁判) 略
第3表(裁定の実行)
  • 債務を認め、かつ法により裁定された件には30日(の猶予)が適法である。
  • それでも返済しない場合には、そのものを逮捕し、法廷に連行しなければならない。
  • 裁定を履行しないか、誰も法廷で身許引受人ならないなら(原告は被告を)伴い行くことができる。鎖か足かせで縛(いまし)めて良い。
第4表(家父長権)
  • もし父が息子を三度売るならば、息子は父から自由になることができる。
第5表(相続・後見)
第6表(所有権)
第7表(財産)
第8表(犯罪)
  • もし誰かの手足を害し、そのものと和解しなければ、同害とされる。
  • もし手か杖で骨を砕いたならば、自由人ならば300アス、奴隷ならば150アスの罰金を払わなければならない。
  • 保護者(パトローヌス)は、もし庇護者(クリエーンス)を欺したならば、そのものは神の者(人間社会の法の保護を受けられない)とされるべきである。
第9表(国制)
  • 個人的特例を(民会に)提案してはならない。
  • 市民の死罪については、最大の民会(ケントゥリア)によらないかぎり、求めることはできない。
第10表(神事) 略
第11表(追加)
  • 平民(プレブス)には貴族(パトリキ)との通婚は認めらるべきではない。
第12表(追加) 略
所属不明 すべての裁定と刑罰に、控訴は許される。
<『新訳世界史史料・名言集』山川出版社 p.14 鈴木一州氏の訳文を口語に改め、一部補った。>

ローマ法への発展

 この十二表法は、現在の法体系のような網羅的なものではなかったが、これ以降、修正や補足が加えられながら、ローマ法の体系へと発展していく出発点となった。その意味で、「十二表法はすべての法の源泉である」とさえ言われている。
 この後の法の改正、補足の主なものは、まず、第11表の貴族と平民の通婚禁止の規定は、前445年にカヌレイウス法で修正される。さらにローマ共和政の形成過程で重要なリキニウス・セクスティウス法(前367年)があり、ホルテンシウス法(前287年)でローマ共和政の政体が出来上がる。
 その後、これらローマ法は市民法として制定され、主に民法の分野で発達し、さらに帝政時代にはローマ市民以外に適用される万民法に変質していく。それらのローマ法を体系的に編纂したのが、東ローマ帝国のユスティニアヌス帝が編纂させたローマ法大全であった。
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書籍案内

村川堅太郎監修
『新訳世界史史料・名言集』
初版1976 再刊2006
山川出版社