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マレー半島

マラヤ半島とも言う、インドシナ半島から東南に延びた半島。東南に広がる島々との海上交易が盛んであり、文化的には諸島部に入り、仏教、ヒンドゥー教の後にイスラーム教が伝播してマラッカ王国が成立。その後、オランダ、イギリスが進出し、イギリス領マラヤとなり、戦後にマラヤ連邦として独立、1963年にマレーシア連邦が成立した。半島先端のシンガポールは海上交易の要地としてさかえ、華僑が多かったのでマレー人中心のマレーシアから分離し1965年に独立した。

 現在は、北はタイとビルマが領有し、南部はマレーシアの一部となっている。その南端にシンガポール島がある。またマラッカ海峡を隔ててスマトラ島が平行している。マレー半島の住民(マレー人)は本来、オーストロネシア語族(かつてはマレー=ポリネシア語族といわれた)で諸島部の現在のインドネシアの人々と同系統であったので、文化圏としては諸島部(島嶼部)に入ることに注意すること。
 マレー半島は、インド洋(その一部のベンガル湾)と南シナ海(その一部のシャム湾)を隔てているが、古代のこの地の東西交易は、マラッカ海峡の通行が季節風で制約されたから、河川を利用して内陸に入り、船を陸揚げして半島を越えるコースがとられていた。半島部の最も狭い地峡がクラ地峡である。

イスラーム化

 7~14世紀のシュリーヴィジャヤ王国は半島からスマトラ島一帯を支配する海洋国家で仏教国であったが、15世紀に成立したマラッカ王国もマレー半島とスマトラ島を勢力範囲とする港市国家として繁栄しながら、イスラーム教に改宗し、初めてこの地域のイスラーム化が始まった。

植民地化

 さらにマレー半島には1511年のポルトガルによるマラッカ占領から植民地化が始まり、ついで1641年にオランダ領となり、19世紀にはイギリスが積極的に植民地化を進め、イギリス領マラヤが成立した。1824年のイギリス=オランダ協定でオランダとの植民地分割が合意され、マレー半島はイギリス領とされた。
 また、本来のマレー半島は、海岸部はマングローブ林が広がる泥地であり、内陸は山地が多く、河川流域にの狭い平地もほとんど沼沢地であったので農耕には向かなかった。近代のスズ鉱山の開発、ゴム園やパーム椰子などプランテーションの設置にともなってマレー半島の地形と景観は大きく変化した。平行して中国人(華僑)とインド人(印僑)の流入も多くなり、現在は多民族地域となっている。
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