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ハノイ/昇竜

ベトナム北部の中心都市。旧名昇竜。大越国諸王朝の都。黎朝では東京と改称された。フランス領下では総督府が置かれ、独立後も首都となる。

 ベトナムの北部の紅河流域の中心都市で、漢の武帝交趾郡を置いてから、長い中国王朝のベトナム支配の拠点となり、唐代には安南都護府が置かれた。

大越国の首都昇竜

 1009年に自立したベトナム人の李公蘊が李朝を建て、大越国を国号としてから、その都とされ昇竜(タンロン)と言われた。次の陳朝は元の侵攻をくい止め、独自の文字チュノムを創始するなど、ベトナム文化の開花期を実現した。

黎朝の東京

 15世紀初めには明の永楽帝の侵攻を受けたが黎利を指導者とする独立運動が興り、1428年に明は撤退、黎朝が成立し、ハノイは東京(トンキン)と改称されて都となった。
 しかし黎朝の後半には各地に武力をもった独自世間が分立するようになり、阮氏政権、およびそれを1804年に再建した阮朝は都を中部ベトナムのフエに置いた。

近代~現代のハノイ

 1831年にハノイ(漢字表記では河内)と言われるようになり、フランス領インドシナ連邦が成立するとフランスはハノイに植民地行政府として総督府を設置した。1945年にベトナムが独立(ベトナム民主共和国)するとともにその首都となる。南部にアメリカの傀儡政権が作られ、ベトナム戦争となると北ベトナムの中心都市としてたびたびアメリカ軍の北爆の標的となった。1976年、ベトナム戦争が終結して南北統一を実現、ベトナム社会主義共和国となってからも首都として継続している。
 現在のハノイは人口は約650万で、ホーチミン市(旧サイゴン)の約770万に次いでベトナム第二位であるが、政治的には首都として優位に立っており、ホーチミン市は経済活動で優越している。
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