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日南郡

漢の武帝がベトナム中部に置いた郡。漢の直轄領の最南端名足、後漢時代には大秦王安敦の使節が来た。

 漢の武帝南越を滅ぼした前111年に、中部ベトナムにおいた郡の一つで、漢の最南端の直轄領となった。交趾郡の南、現在のベトナム中部のフエの付近。じつなん(ジツナム)とよむのが正しい。
 166年にここに大秦王安敦の使者が渡来したという。後にはこの地にチャム人が自立するようになるが、彼らは中国では初め林邑、後に占城と言われ、自立してからチャンパーと称するようになる。
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