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州県制

中国の隋・唐以降の地方行政制度。

 漢代では最終的には郡県制の上に、郡を管轄する州が13州設置され、州-郡-県の三段階で地方が統治されていた。魏晋南北朝になると州の数が増え、その末期には300を越え、中央集権が困難になる一因となっていた。そこで隋では郡を廃止して州が直接県を管轄するように改め、中央集権体制の合理化を図った。もこの州県制を継承した。州の州刺史、県の県令という長官と次官は中央から派遣され、それ以下の官吏は現地で長官が任命した。なお唐では全国の州を10の道に分け、玄宗の時代にはさらに15道に分けて州を管轄させ、道州県制となった。
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