呉道玄
唐代の宮廷画家。8世紀前半の玄宗に仕え、唐代随一と讃えられた。その画風は、六朝時代の繊細な表現を脱し、強弱を付けた線描で動的であり、山水画でも立体感のある画報を創出し、後の画壇に大きな影響を与えた。
唐の玄宗の開元年間(8世紀前半)に活躍した宮廷画家。画才を玄宗に認められて宮廷画家となった呉道玄は、人物・仏像・山水などあらゆる分野で活躍、六朝時代の顧愷之などの繊細な筆法から脱却して、力強く変化に富んだ大型画面を生き生きと描いた。仏教寺院や道教の道観の壁画を三百余間余さず描き、同じものは一つとしてなかったという。また自然描写では山や岩の立体感を表す画法を創出し、山水画の基本を築いた。中国絵画の様式を著しく進展させた画家であるといえる。 → 唐の文化
呉道玄の画法
(引用)呉道玄の登場の意義は、まずその描線のもつ「筆意」にある。筆意とは、直訳すれば「筆がもっている意」であって、「筆」とは中国絵画の場合「筆による線」を意味するので、墨で引かれた線がもつ表情ということになる。・・・(六朝時代の)顧愷之などの細い均一な線に対して、呉道玄は肥痩をもった表情豊かな線を用いた。それが画面に動的なイメージを加え、かつ、作者の意識の流れのようなものを描線が表情(つまり心の表出)としてもっているとう解釈を呼んでいくことになる。・・・このような線描の出現が、色を塗らない絵画、あるいは線に影響を与えないような淡彩を用いた絵画を生んでいくという指摘があることも注意しておこう。<宇佐美文理『中国絵画入門』2014 岩波新書 p.63-64>皺法と没骨 この「色を塗らないか、または淡彩を用いた絵画」が、いわゆる水墨画である。また、色彩のグラデーションを用いて立体感を出すのではなく、輪郭線の中に「線を引く」ことで立体感を表す技法は、すでに敦煌絵画にも見られるが、呉道玄が始めた「皺法」によって広がった。「皺法」は物体の表面にしわのような線を引くことで立体感を表そうとすることである。それと同時に、「輪郭線をやめてしまおう」という考え方も表れる。これが「没骨(もっこつ)」の技法である。この皺法と没骨によって、樹石や山水を描くジャンルが「山水画」である。<宇佐美文理『同上書』p.68 にさまざまな皺法の例が掲載されている。>