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ウイグル

中央アジアのトルコ系遊牧民。8世紀に突厥に代わって建国。安史の乱の時に唐を支援して有力となったが、次第に唐を圧迫するようになり、ソグド商人を保護して東西交易で繁栄した。しかし840年にキルギスによって滅ぼされ、一部は西方に移住、トルキスタンの成立のきっかけとなった。

安史の乱で唐を助ける

 中央アジアで活動したトルコ系の遊牧民。モンゴル草原から中国西部のオアシス地帯で活動し、はじめ同じトルコ系の突厥に服属していた鉄勒の9部族(トクズ=オグズ)の中の一部族であった。8世紀に突厥(第二帝国)が衰退した後、744年に自立してその王は可汗を称し、ウイグル国家を建国した。中国では回紇、のちに回鶻(いずれも訓はかいこつ)などと表記される。おりから唐で、755年安史の乱が起きると唐の求めに応じて援軍を送った。このとき、ウイグル人で唐の都に行った者も多く、草原の遊牧民が中国貴族文化に接することとなった。
マニ教を国教に 安史の乱で唐を助け、762年に洛陽を解放したウイグル王ヤブク汗はマニ教に改宗し、ウイグルの国教とした。反乱の鎮圧に功のあるウイグル汗の後ろ盾もあり、マニ教は中国全土に広がることとなった。768年にはウイグル人のために長安にマニ教寺院の大雲光明寺が建立された。しかし、840年にウイグル汗がキルギスに敗れ、ウイグルの領土が高昌とその周辺地域に限られると、中国各地でウイグルに対する反感が吹き出し、マニ教寺院も破壊された。<山本由美子『マニ教とゾロアスター教』1998 世界史リブレット p.71> → 摩尼教

ウイグル人の西方への移住 トルキスタンの成立

 その後、ウイグルは中央アジアの交易ルートを抑え、ソグド商人を保護して東西貿易に従事させ、マニ教を受け入れて独自の文化を築いた。しかし9世紀には北方のキルギス人の侵入を受けて衰退し、840年に滅亡した。その遺民の一部はタリム盆地に移住し、オアシス都市を支配して西ウイグル王国を建国した。彼らは独自のウイグル文字を生み出すなど高い文化を誇った。

ウイグル人の定住化の歴史的意義

 9世紀にモンゴル高原を中心としたトルコ系民族ウイグル人の遊牧帝国が崩壊し、ウイグル人の一部がタリム盆地に移住し、オアシス都市に混じって定着して都市の商人や都市周辺の農耕民となったことによって、それまでソグド人などのイラン系民族が住民であった中央アジア地域がトルコ民族が主体となる、いわゆるトルコ化がすすむ第一歩となり、トルコ化した中央アジアをトルキスタンと言うようになる。ウイグル人が中央アジアに定住したことの歴史的な意義とは、中央アジアのトルコ化がもたらされたことである。 → 中央アジアのトルコ化

トルキスタンのその後

 トルキスタンは、パミール高原の東の天山山脈・崑崙山脈に南北をはさまれたタリム盆地、タクラマカン砂漠一帯を東トルキスタン、パミール高原の西のシル川・アム川にはさまれた地域を西トルキスタンにわかれる。
 8世紀頃からイスラーム教が中央アジアに入ってきたが、トルコ系民族で最初にそれを受け入れたのは10世紀の西とルキスタンを支配したカラハン朝で、その影響で東トルキスタンの一部オアシス都市にもイスラーム教が広がった。
 トルキスタン全域は、13世紀はじめにはチンギス=ハンのモンゴル帝国に服属することとなる。 清朝では、東トルキスタンが乾隆帝に征服されて新疆に組み込まれることとなる。

参考 唐~元のウイグル人と現代のウイグル人の関係

 唐代の歴史に出てくるウイグルと、現代中国の新疆ウイグル自治区のウイグルとは直接的にはつながっていないので注意を要する。
(引用)実は古い時代のウイグルが民族集団として活躍するのは唐帝国からモンゴル帝国(元朝)の時代までであり、それ以後ウイグルの名前はいったん消滅する。ウイグルの流れを汲むが、モンゴル時代以降徐々にイスラム化していった東トルキスタン東部のトルコ人たち、並びにそれより早くカラハン朝治下にイスラム化した東トルキスタンの西部のトルコ人たちは、オアシス都市群ごとに自己認識し、トゥルファン人とかクチャ人とかカシュガル人というふうに出身地に応じてばらばらに呼ばれるようになる。それが20世紀前半になって東トルキスタンの政治的統一の必要に迫られた時、かつて栄光に包まれていたウイグルの名前を全体名称として採用するのである。そうした新ウイグルには、旧カラハン朝治下のカシュガル人、コータン人までも含まれ、後者がイスラム教徒(ムスリム)であったため誤解が増幅されたのであるが、本来の古代ウイグル人には一人もイスラム教徒はいなかった。彼らの宗教はモンゴル草原で遊牧をしていた時代はシャーマニズムマニ教であり、天山地方に民族移動して百年以上経て農耕・都市生活に馴染むと共に仏教への改宗が顕著となり、モンゴル帝国時代にはほとんどのウイグル人が仏教徒で一部にネストリウス派キリスト教徒が混じっていた程度である。
 言語についていえば、唐~元代の古ウイグル語と近現代の新ウイグル語とは、基本的に同じトルコ語である。文法に大きな変化はない。しかし文字はすっかり変わり、また語彙も相当に変わっている。つまりイスラム化以後はアラブ=ペルシア系の語彙が流入し、さらに清朝以後は大量の漢語が借用された。<森安孝夫『シルクロードと唐帝国』2007初刊 2016 講談社学術文庫 p.33-34>

 → ウイグル人の独立運動/東トルキスタン独立運動
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書籍案内

森安孝夫
『シルクロードと唐帝国』
興亡の世界史 2007初刊
2016 講談社学術文庫