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石窟庵

朝鮮の新羅時代、751年に造営された仏教遺跡。石窟内に釈迦如来坐像などの石仏が安置され、芸術的価値が高い。

 韓国の慶州の霊山とされる吐含山(トハムサン)の東にある。その西側には仏国寺がある。統一新羅時代の751年に造営された石窟寺院で、朝鮮の仏教文化を代表する遺品である。本尊の石造の釈迦如来座像は高さ2m73cm。石窟寺院や石仏は北魏時代から唐にかけて造営された中国の雲崗竜門の影響を受けている。さらにその流れの源流は、ガンダーラなどのインドの石窟寺院にさかのぼることができる。

参考 柳宗悦の見た石窟庵


石窟庵の釈迦如来像 韓国の教科書より
(引用)いまから三年前――1916年9月1日午前6時半、うららかな太陽の光が海を越えて、窟院の仏陀の顔に触れた時、私は彼の側に佇んだのである。それは今も忘れ難い幸福な瞬間の追憶である。彼および彼を囲繞(いにょう)する諸々の仏像が、その驚くべき晨(あした)の光によって、鮮かな影と流れる様な線とを示したのもその刹那であった。窟院の奥深くに佇む観音の彫刻が、世にも稀な美しさに微笑んだのもその瞬間であった。ただこの晨の光によってのみ見られる彼女の横顔は実に今も私の呼吸(いき)を奪うのである。 <柳宗悦『朝鮮とその芸術』所収 「石仏寺の彫刻について」1919 Kindle版 位置No.298>
 この文は日本の民芸運動を主導した柳宗悦(やなぎむねよし 1889~1961)が石窟庵を訪れたときのもの。石仏寺とは石窟庵のこと。彼と言っているのは石窟の中心に安置される釈迦如来(阿弥陀如来とも言われる)、彼女と言っているのはその後の十一面観音像である。この一文でわかるように、東を向いて開口部があり、石を積み上げた石室を土で覆って石窟としている。中心の釈迦如来は高さ3.42mの花崗岩造りの坐像で、1.3mの台座の上に座し、十一面観音のほか、普賢と菩薩の観音、梵天と帝釈天などの天部の諸像が並ぶ。さらに周囲の壁面には十大弟子像が浮き彫りされている。

世界遺産 石窟庵

 石窟庵(ソッグルラム)は751年、新羅の景徳王の宰相金大城が造営したもので、仏国寺の付属石窟とされている。仏国寺は広く知られていたが石窟庵は山の中にあったため忘れさられ、1911年に慶州の郵便局員が偶然発見したという。その後に半分埋まっていた石室も発掘され、補修工事が行われ、上述の柳宗悦がその価値を広く伝えたため知られるようになった。現在では韓国の国宝に指定され、1995年には仏国寺と合わせて世界遺産に登録された。 → 韓国・文化財庁ホームページ ・ 韓国・文化財庁 You-Tube
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書籍案内

柳宗悦
『朝鮮とその芸術』
初版 1923
Kindle版 2013