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猛安・謀克

中国の華北を支配した金王朝の完顔阿骨打が制定した軍事・行政組織。

 もうあん、ぼうこく。中国東北部(満州)で狩猟生活を送っていた女真が建国したの軍事・行政組織。完顔阿骨打が国号を金とする1115年の前年の1114年に、女真を統制するための軍事・行政の両面を兼ねる制度として設けた。金は女真族に対しては猛安・謀克で統治し、華北の漢民族に対しては州県制を適用するという二重統治体制をとった。

金の軍事・行政組織

 300戸を1謀克として行政上の基礎単位とし、10謀克を1猛安(つまり3000戸)として組織、1猛安あたり1000人の壮丁(成年男子)を兵士を徴して軍を編制した。猛安はミンガンという女真語で「千」を意味し、謀克は同じくムーケという女真語で「族長」を意味し、それぞれの猛安、謀克の長の名称もそれぞれ猛安、謀克と称し、それらは世襲の職であり、世官とも呼ばれた。平時は狩猟と農耕に従事するが、戦時には猛安を基礎単位とする兵士が従軍する制度で、簡単に言えば、猛安・謀克制とは3000戸の構成員から1000人の戦士を徴発する制度ということになる。「千」を単位とする点で、モンゴル帝国千戸制と共通している。<川本芳昭『中国史の中の諸民族』2004 世界史リブレット61 山川出版社 p.49 などによる>
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書籍案内

川本芳昭
『中国史のなかの諸民族』
世界史リブレット61
2004 山川出版社