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スキタイ

前6世紀頃を中心に、黒海北岸の南ロシア草原を中心に、ユーラシア内陸で活動した遊牧騎馬民族。高い騎馬技術と金属器文化を持っていた。

 紀元前8世紀から前3世紀ごろ、カフカス地方の北側、黒海北岸からカスピ海北岸のヴォルガ川までの草原地帯で活動した騎馬遊牧民で、スキタイ文化と言われる高度な金属文化をもっていた。彼らの文化は草原の道(ステップ=ロード)を経て東方にも広がり、中央アジアのパミール高原の東西からモンゴル高原、中国北部にも及んでいる。その全盛期は前6~前5世紀ごろであった。
 ユーラシア大陸の騎馬民族として最初に登場する民族であり、スキタイ文化は西アジアのヒッタイトなどから鉄器の製造をまなび、それを東方に伝え、他の遊牧騎馬民族に大きな影響を与えた。
 スキタイはペルシア人からはサカ人と呼ばれていたが、言語的には同じイラン系民族に属すると考えられている。スキタイ人の存在はギリシアの歴史書にも現れ、ヘロドトスの『歴史』では詳しく記述されている。
 現在、南ロシア、ウクライナからクリミア半島にかけての黒海北岸から中央アジアにかけて、彼らの墳墓が多数発見されている。紀元後の3世紀ごろに始まったゲルマン民族の活動の中で、東ゴート人が勃興し、それによってスキタイは滅ぼされた。

スキタイ文化

スキタイの動物意匠
スキタイ文化の動物意匠金属器。
 騎馬遊牧民であるスキタイ人の文化は、騎馬の技術、馬具、武器に施された動物紋などが特徴である。紀元前1000年紀に中央ユーラシアに広く影響を与えた。
 前7世紀から前6世紀のスキタイ人の首長を埋葬した墳墓(クルガン)が発掘され、おびただしい金製品が発見された。とくに多くの枝に分かれた角を持つうずくまった鹿や豹や、さまざまな姿勢で戦う猛獣を組み合わせた、「動物意匠」と言われる形態をとる金や青銅の製品は、スキタイ文化の高度な到達度を示している。
 右の写真は、鹿の形の金製飾り板で、鳥やウサギ、獅子も見られる。ロシアのケルチ市付近のクーリ=オパ高塚で出土。<『スキタイとシルクロード美術展』カタログ 1969 日経新聞社 図20>
※「スキタイ美術」そいわれる、スキタイ人の残した金属製の装飾品は、モスクワのエルミタージュ美術館にその多くが収蔵されている。

Episode スキタイの皮剥と頭蓋骨の盃

 スキタイ人が活動していたころの黒海沿岸には、ギリシア人の植民活動が及んでいた。またアケメネス朝ペルシア帝国ダレイオス1世もこの地に進出を狙っていた。そのようなことから、ギリシアの歴史家ヘロドトスの『歴史』第4巻には、スキタイ人(ギリシア語ではスキュティア)の風習やスキタイ王国のことが詳しく述べられている。その中から興味深い情報をひとつ。
(引用)・・・戦争に関することでは、この国(スキタイ王国)の習慣は次のようである。スキュタイ人は最初に倒した敵の血を飲む。また戦闘で殺した敵兵は、ことごとくその首級を王の許へ持参する。首級を持参すれば鹵獲物の分配に与ることができるが、さもなくば分配に与れぬからである。スキュタイ人は首級の皮を次のようにして剝ぎとる。耳のあたりで丸く刃物を入れ、首級をつかんでゆすぶり、頭皮と頭蓋骨を離す。それから牛の肋骨を用いて皮から肉をそぎ落とし、手で揉んで柔軟にすると一種の手巾ができあがる。それを自分の乗馬の馬勒にかけて誇るのである。この手巾を一番多く所有する者が、最大の勇士と判定されるからである。またスキュタイ人の中には、剥いだ皮を羊飼いの着る皮衣のように縫い合わせ、自分の身につける上着まで作るものも多い。・・・・首級そのものは次のように扱う・・・。眉から下の部分は鋸で切り落とし、残りの部分を綺麗に掃除する。貧しい者であれば、ただ牛の生皮を外側に張ってそのまま使用するが、金持ちであれば牛の生皮を被せた上、さらに内側に黄金を張り、盃として用いるのである。・・・<ヘロドトス/松平千秋訳『歴史』中 1972 岩波文庫 p.40-41>

サカとスキタイ

 前6世紀後半、イラン高原に興ったアケメネス朝ペルシア帝国(アカイメネス朝)は、西方のギリシア諸都市に対する遠征を行いペルシア戦争となっただけでなく、東方の中央アジア方面にも盛んに勢力を伸ばそうとした。そして西方ではギリシアの北方の黒海南岸のスキタイと接触したが、それを従属させることは出来なかった。また東方に進出したアケメネス朝は、「サカ」と総称される遊牧騎馬民族と接触した。ヘロドトスはこのサカについても記録を残している。ヘロドトスはサカをサカイと呼び、「サカイ、すなわちスキタイは、先が尖ってピンと立ったキュルパシアという帽子を頭にかぶり、ズボンをはき、自国産の弓、短剣、さらにサガリスという(双頭の)戦斧を携えていた。・・・ペルシア人は彼らをサカイと呼んでいた。というのは、すべてのスキタイにサカイという名前を与えていたからである」<『歴史』巻7 64>と書いている。<林俊雄『スキタイと匈奴 遊牧の文明』2007 興亡の世界史 2017 講談社学術文庫 p.129-130>

Episode 草原の「黄金人間」

 ソ連時代の1969年、カザフスタンの南部の大都市アルマトイの東50キロほどの、イッシクで偶然古墳が発見された。盗掘を免れていた墓坑から豪華な出土品がもたらされた。
(引用)発見された遺骸は、金ずくめであった。尖り帽子、丈の短い上衣、ベルト、ブーツ、剣と鞘は、様々な動物文様や幾何学文様の金製品で飾り立てられ、さらに金製の管を三重半巻いた形のトルク(首輪)と指輪を身に着けていた。このように頭のてっぺんから足の爪先まで金で覆われていたため、この被葬者は「黄金人間」と称されるようになった。<林俊雄『スキタイと匈奴 遊牧の文明』2007 興亡の世界史 2017 講談社学術文庫 p.131-132>
 中でも注目されたのは「尖り帽子」であり、これはアケメネス朝ペルシアの碑文や、ヘロドトスの『歴史』に出てくるサカ、つまりスキタイの服装と一致していた。このような「尖り帽子」ははるか西方のクリミアのクル=オバ古墳出土の壺にも描かれており、スキタイ時代の中央アジアから南ロシアにかけて、広く着用されていたものと思われる。またそこに見られる動物文様もスキタイのそれと同じ、鹿や鳥をモチーフとしたものであった。
 右図は、カザフスタン・アルマトイの国立中央博物館に所蔵されている、イッシク古墳出土の「黄金人間」のレプリカ。
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書籍案内

ヘロドトス/松平千秋訳
『歴史』中
1972 岩波文庫

林俊雄
『スキタイと匈奴 遊牧の文明』
興亡の世界史 2007初刊
2017 講談社学術文庫