印刷 | 通常画面に戻る |

ジンミー/ズィンミー

イスラーム教支配下にあってその保護下に入り、その信仰を認められた保護民。啓典の民とされたユダヤ教徒、キリスト教徒がその例であるが、義務としてジズヤ(人頭税)の負担などを課せられた。

 ジンミー dhinmmï はズィンミーとも表記。イスラーム教の世界で、アラブ人に征服されても、イスラーム教に改宗しなかった人々の中で、啓典の民ユダヤ教徒、キリスト教徒。ジンミー(ズィンミー)といわれ、信仰の自由と生命財産は守ることができた。ただしハラージュジズヤの納税の義務は負わなければならなかった。ジンミー(ズィンミー)とは、ズィンマ(保護)を与えられた人々、の意味。ジンミー制度は、本来は、啓典の民とされるユダヤ教徒、キリスト教徒が対象とされたが、大規模な聖戦が終わり、イスラーム支配圏が広範囲となったウマイヤ朝時代になると、イラン人のゾロアスター教徒なども加えられていった。しかし、例えばインドにおけるヒンドゥー教徒などは、始めは寛容な扱いを受けたが、次第に厳しく排除されるようになった場合もある。

ジンミーの義務

 イスラーム法のもとでジンミー(ズィンミー)として、生命と財産の安全、信仰の保持を認められるためには、次の義務を追っていた。
  1. イスラーム教徒(ムスリム)の主権を認め、その政治的支配に服すること。
  2. 戦争の際にはイスラーム教徒を助けること。
  3. ジズヤ(人頭税)とハラージュ(土地税)を払うこと。
  4. イスラーム教徒の旅人を毎年3日間歓待すること。
 9世紀以降、統一的なイスラーム政権が衰退し、各地にイスラーム国家が分立するようになっても、基本的にはジンミーは同じように扱われた。ただし、王朝によってはジンミーの扱いが異なる場合もあった。ファーティマ朝のカリフ、ハーキムは、ジンミーを差別し、苦しめたことで知られる。<『イスラーム辞典』平凡社 p.223>

ジンミー制度の成立

 ズィンミー制度の由来はイスラーム暦元年のヒジュラ(聖遷)にさかのぼる。ムハンマドがメッカからメディナに移ったのちにメディナの住民と結んだ「メディナ憲章」で、ムハンマドは、武力でなく外交交渉で平和に征服した地域に関しては、住民の自治と生命、財産の安全を保障したことがその始まりとされる。  第二代カリフのウマルの時、誕生間もないイスラーム共同体(ウンマ)は、多くの異教徒をどう統治するかという問題に直面したとき、このムハンマドのメディナで出した憲章を慣行令としたことにより、この「ウマルの契約」が異教徒に対する処遇の基礎とするイスラーム法(シャリーア)解釈が定着した。「メディナ憲章」と「ウマルの契約」は9世紀から10世紀にハディース(ムハンマドの言行とされる伝承)に取り入れられ、ズィンミー制度が成立した。

参考 保護か差別か。ズィンミー論争

 イスラーム世界におけるズィンミーはイスラーム法によって保護されていたのか、それともやはり差別される存在だったのか、についてはイスラーム史研究者の中にも見解の違いがあり、ズィンミー論争といわれている。ジズヤなどを払わなければならなかったこと、ファーティマ朝カリフのハキームのようにズィンミーに特定の色の着物を着なければならない、馬に乗ってはいけない、役人にはなれないなど本質とみれば、差別されていたという主張となる。
 それに対して、ズィンミーとしてのユダヤ人に対する迫害があったとされるファーティマ朝やムワッヒド朝においても、その迫害は一時的で、しかも中世ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害から較べれば厳しくはなく、たしかに二級市民ではあったが全体としてはイスラーム共同体(ウンマ)の中でその構成員となり、イスラーム法に保護されていたと説明する。
交易離散共同体としてのマイノリティー ズィンミー問題は保護か差別かの二者択一ではなく、イスラーム圏の歴史の中でのマイノリティー(少数者)として、どのように存在したのかを検討しなければ本質的な解答にならないであろう。イスラーム世界でマイノリティーとされていたユダヤ教徒、アルメニア人などが、中世ヨーロッパにおけるような迫害、差別を受けなかった理由は、彼らが一定の領域支配を行わずに広範囲に離散しながら、その離散している状況をむしろ有利に生かしながら、交易に従事することができたという特質をもっていることがあげられる。そのような存在を、「交易離散共同体」ととらえることができる。<田村愛理『世界史のなかのマイノリティ』世界史リブレット53 1997 山川出版社 p.19>
印 刷
印刷画面へ
書籍案内

『イスラム事典』
1982 平凡社

イスラーム関係の辞書はいくつかあるがいずれも大型で高価。この本は小型で手軽。新版も出ているが、古い版でもまだ使える。

田村愛理
『世界史のなかのマイノリティ』
世界史リブレット53
1997 山川出版社