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ユダヤ教

ヘブライ人の民族宗教で、唯一絶対の神ヤハウェを信仰する一神教。後にキリスト教の母体となる。現在も世界中に拡がるユダヤ人によって信仰されている。選民思想、律法主義などがその特色である。

一神教・選民思想・律法主義

 ユダヤ民族の持つ民族宗教。ユダヤ人(他からはヘブライ人と呼ばれ、自らはイスラエル人と称していた)は唯一絶対の神ヤハウェのみを信じ、他のいかなる神も存在を認めない一神教を作り上げた。彼らはヤハウェから選ばれた民であり(選民思想)、神から与えられた律法(トーラー)を厳格に守ることによって救済されると考えた(律法主義)。
 旧約聖書に物語られている「出エジブト」や「バビロン捕囚」などの民族的苦難から、救世主(メシア)の出現を信じるようになり、イェルサレムの神殿に奉仕する祭司たちによる教団が形成された。その信仰の中核にはモーセの十戒を遵守することによって、神から選ばれた民となるという選民思想がある。また、しばしば神の言葉を人々に伝えるという役割を担う預言者が重要な働きをした。彼らの預言は旧約聖書にまとめられるようになった。彼らは、イェルサレムのヤハウェ神殿を聖所として崇拝したが、そこから離れた集団は各地に律法を学ぶ集会所としてシナゴーグを作るようになった。

ユダヤ教の成立

 ユダヤ人は前11世紀末ごろにヘブライ王国を建国、ダヴィデソロモン王の時、最盛期となり、都イェルサレムにヤハウェ神殿(第一神殿)を建てて崇拝した。しかし前922年ごろに分離して北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂、前者は前722年にアッシリアによって滅ぼされ、後者は前586年に新バビロニアに滅ぼされて、イェルサレムのヤハウェ神殿も破壊された。その時「バビロン捕囚」という民族的苦難を経験することとなった。この民族的苦難の中で、選民であるユダヤ民族は神から与えられた戒律を守る限り、救世主(キリスト)が現れて救済されるであろうというユダヤ教信仰が確固たるものになっていった。

他民族による支配が続く

 新バビロニアがペルシア帝国によって滅ぼされたため、ユダヤ人は前538年にバビロン捕囚から解放されてパレスチナに戻り、イェルサレムにヤハウェ神殿を再建した(第二神殿)。その後、パレスチナはペルシア帝国、アレクサンドロス大王、セレウコス朝シリアの支配が続き、政治的自由は失われていった。前166年にはマカベア戦争でセレウコス朝の支配から独立し政治的・宗教的自由を獲得した(ハスモン朝)が、前1世紀になるとローマの支配が及ぶようになり、前37年には親ローマのヘロデの統治をへて、紀元6年にはパレスチナはローマの属州となった。

ユダヤ教の変質

 ユダヤ教は、ローマ帝国のもとでは教団として公認され、皇帝崇拝という国家儀礼から除外されていた。つまり、禁止されていたのではないので迫害も受けていなかった。しかし、ローマ支配下のパレスチナで、次第に信仰の形骸化が進み、教団の統一も失われて、次の三つの党派に分かれて争うようになっていた。
  1. パリサイ派 神の恵みに答えて日常生活で律法(トーラー)を遵守することを強調する。
  2. サドカイ派 従来のイェルサレム神殿を中心とした儀礼の遵守を主張する保守派。
  3. エッセネ派 神殿儀礼の形式化を厳しく非難、律法の遵守も日常生活だけでなく、一種の共同体を形成して禁欲的に実践することを主張。(その一派の「クムラン教団」の修道院遺跡が死海のほとりで偶然発見され、「死海文書」という沢山の文献が見つかっている。)
<この項は佐藤研『聖書時代史 新約編』岩波現代文庫に負うところが多い。>

参考 ラビとタルムード

 ユダヤ教国家である前2世紀のハスモン朝のころ、ユダヤ教のモーセによって示された律法(トーラー)(聖書)を易しく解説して人々に説くラビ(「我が師」といった意味)が現れた。彼らはやがて神殿の祭司に代わりユダヤ教の宗教的指導者となっていった。また彼らの教えは口伝によって受け継がれ「タルムード」(教え、学習の意味)にまとめられた。3世紀ごろまでにヘブライ語によって書かれたミシュナーといわれる本文と、アラム語で書かれた注釈書が作られるようになった。タルムードは現在、ユダヤ教の聖典として扱われているが、ラビによる一種の文学的な記念碑としても価値が高いとされている。

イエスの登場

 紀元前1世紀、ローマに征服された頃に始まるユダヤ教の変質とともに保守派と改革派の対立がはげしくなった。その中で出現したのがイエスであった。30年ごろ、イエスはローマの支配を脅かす恐れがあるとして処刑され、イエスの復活を信じた者の中から彼こそ救世主=キリストであると信じる教団が形成された。
 それははじめは「ユダヤ教イエス派」として受け取られていたにすぎなかったが、ペテロやパウロなどの使徒の活動をつうじて、ユダヤ人だけでなく民族の違いを超えて拡がっていった。この民族宗教としてのユダヤ教から決別して、世界宗教となったのが、キリスト教である。

その後のユダヤ教

 1~2世紀、ローマ帝国による政治的支配は次第に厳しくなり、租税の経済的負担は重くなり、宗教的自由も脅かされることが多くなったため、度々ローマに対する反乱が起こった。66年に始まった第1回ユダヤ戦争では、70年にローマ軍によってイェルサレム神殿(第二神殿)が破壊された。131年に始まった第2回ユダヤ戦争でもイェルサレムを奪回し5年ほど続いたが、135年に鎮圧され、その時からユダヤ人はイェルサレムから追放され、故郷パレスチナを失うこととなった。

ユダヤ人の離散(ディアスポラ)

 ユダヤ教はその後、パレスチナの地から離散(ディアスポラ)したユダヤ人とともに、ローマ帝国領内に広がるが宗教的自由は守られ、独自の集団を作り、シナゴーグなどでの民族宗教としての儀礼を捨てなかった。一方、キリスト教は、当初はローマ帝国による弾圧の対象とされたが、キリスト教の公認が行われ、さらにローマの国教とされると、ユダヤ教は異教として排除されていくこととなる。それが、その後のヨーロッパキリスト教世界におけるユダヤ人迫害につながることになる。 → ユダヤ教徒追放令
 7世紀にアラビア半島に成立して、急激に西アジアを中心に広がったイスラーム教は、ユダヤ教とおなじく唯一絶対の神を信仰する一神教であったので、イスラーム社会においては、ユダヤ人はキリスト教徒と同じく、啓典の民として一定の税を納めることを条件に、その信仰を守ることができた。しかし10世紀以降、、アッバース朝が衰退してイスラーム帝国としての一体性が失われ、各地に地方政権が生まれると、その中には厳格な信仰の主張から異教徒に対する改宗を強めるものが現れた。12世紀にモロッコからイベリア半島に進出したムワッヒド朝などがその例である。改宗を強制されたり、追放されたりしたユダヤ人は、さらに移住、流適(エクシール)を続けなければならなかった。

参考 ユダヤ人の新たな学術

 ヨーロッパやアラビア、西アジア(さらに遠く東アジア、中国まで)離散していったユダヤ人は定住地でシナゴーグ(集会所)を作りユダヤ教の信仰を守った。彼らが、律法(トーラー)に従った信仰生活を続けるなかで、律法の解釈、聖書の注釈などを行うラビの権威が高まり、彼らの律法の注釈書であるタルムードは蓄積され、それを研究するタルムード学が興った。
ユダヤ人マイモニデス タルムードを研究した代表的なレビとしてモシェー=ベン=マイモン(ギリシア名はモーセス=マイモニデス、1135~1204)がいる。彼はスペインのコルドバで生まれたが、狂信的なイスラーム政権のムワッヒド朝の支配が及んだため、13歳でスペインから逃れ、家族とともにモロッコのフェズに移住した。ユダヤ人であることを秘して生活しながら、タルムードを研究し広い学識を得て医師としても知られるようになった。しかしムワッヒド朝の弾圧が厳しくなり、ユダヤ人に対する強制改宗が迫られ、それを拒否すれば殺害されるという状況となったため、船で脱出してパレスチナに向かい、イェルサレムを巡礼した後にカイロに至った。その地でサラーフ=アッディーン(ヨーロッパではサラディンと知られた、アイユーブ朝を樹立し、第3回十字軍を撃退した人物)の侍医となった。エジプトのユダヤ人社会の精神的・政治的指導者として名声を高め、1180年にヘブライ語で『第二トーラー』を発表、それは錯綜していた律法の解釈を厳しく精査し、整然とした体系にまとめ上げ、世界各地のユダヤ人の新しい指針となった。また主著『迷える者への手引き』は律法の学とアリストテレスの哲学を融合させ、当時のユダヤ思想界だけではなく、アルベルトゥス=マグヌスやトマス=アクィナスなど、13世紀のキリスト教神学者にも大きな影響を与えた。<小岸昭『離散するユダヤ人』1997 岩波新書 p.67-76>

まとめ ユダヤ教とキリスト教

 キリスト教とユダヤ教は唯一神を信仰する一神教であるという点で同一であり、もともとキリスト教がユダヤ教の一分派として始まったものなので近親関係にあるが、キリスト教が世界宗教に展開していったのに対してユダヤ教は民族宗教として変質しなかったため、互いに認め合うことのできない関係になってしまった。それでは両者の教義上や教会組織の相違点をもう一度整理してみよう。
  • キリスト教では神はイエスとして受肉し顕現した(現れた)とし、父(神)と子(イエス)と聖霊は一体であるとする三位一体説と説く(カトリック、プロテスタント共通)。しかし、ユダヤ教では神は不可視(見ることはできない)であるとして顕現、受肉を否定する。
  • キリスト教では人類の原罪からの救済は、メシア(救世主=キリスト)の犠牲なしには不可能であるとするが、ユダヤ教では個人は直接に神と向き合い、それぞれの努力によって救済されると考える。
  • キリスト教ではメシアは神性をおび、イエスとしてすでに顕現したとする。ユダヤ教ではイエスをメシアとは認めず、単なる異端者に過ぎないと考える。従ってユダヤ教では『旧約聖書』だけが聖典であり、『新約聖書』は排除する。
  • キリスト教、特にローマカトリックでは偶像崇拝に比較的柔軟であるが、ユダヤ教では中世以降、それを厳しく禁止している。
  • キリスト教ではローマ教皇を頂点とした明確な聖職者ヒエラルヒーが成立し、教会―信徒が組織化されている。プロテスタントでも一般に教会・牧師が存在する。ユダヤ教には教会組織はなく、信仰上の問題はラビ(律法学者)が判断し、信者はそれに従う。
ユダヤ教の宗教儀礼 ユダヤ教の『律法(トーラー)』と『タルムード』による主な(特徴的な)宗教儀礼・食物戒律には次のようなものがある。
  • 安息日 金曜の日没から土曜の日没まで。土曜日は労働は禁じられ、集団礼拝のためシナゴーグに集まる。キリスト教の安息日である日曜日はユダヤ人にとっては平日であり労働すべき日である。(参考に、イスラーム教徒の安息日は金曜日。)
  • ユダヤ暦 太陰暦を基本とし太陽暦を組み合わせる太陰太陽暦。1年は12ヶ月で太陽暦の9~10月に当たるティシュリ月に始まり、8~9月にあたるエルル月に終わる。主な祭日は新年祭、贖罪日、仮庵祭、過越祭などがある。ユダヤ暦の紀元は創造紀元とされ、キリスト紀元の紀元前3761年を元年とする。
  • 食物戒律(カシュルート) 適性で清浄な食物の摂取が義務づけられており、動物では牛、羊、山羊、鶏・七面鳥はよいが、豚・ラクダの肉は不浄とされる。魚は鱗とひれの有るものはよいがイカ、タコ、エビ、カニは不可。その他こまかな食物戒律がある。
<関哲行『スペインのユダヤ人』世界リリブレット59 2003 山川出版社 p.6-9>
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書籍案内

シ-セル=ロス
長谷川眞・安積鋭二訳
『ユダヤ人の歴史』
1961 みすず書房

山我哲雄
『聖書時代史 旧約編』
2003 岩波現代文庫

佐藤研
『聖書時代史 新約編』
2003 岩波現代文庫

小岸昭
『離散するユダヤ人』
1997 岩波新書

関哲行
『スペインのユダヤ人』
世界史リブレット59
2003 山川出版社