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旧約聖書

ユダヤ教の正典。後にはキリスト教でも正典とされる。原典はヘブライ語で書かれ、ギリシア語、ラテン語に翻訳された。

 旧約聖書は現在はキリスト教の正典とされるが、本来はユダヤ教においても正典である。キリスト教が成立し、イエスの教えをまとめた独自の経典を持つに至ったとき、それを新約聖書(New Testament)とし、キリスト教の母体となったユダヤ教の正典を旧約聖書(Old Testament)として区別するようになった。Testament とは「遺言」、または神との「契約」の意味で、キリスト教では旧約聖書はイスラエル民族の始祖、アブラハムを通じて、またモーセを通じてシナイ山上で啓示された神意であり、新約聖書はイエス=キリストを通じて全人類との間でかわされた契約である、とされる。したがって、「旧約」「新約」という区別はキリスト教での言い方である。ユダヤ教では「旧約」とは言わず、「律法(トーラー)」、「預言者(ネビイーム)」、「諸書(ケトゥービーム)」のヘブライ語の頭文字をとって「タナッハ」、ないし「読まれるべきもの」の意味で「ミクラー」と呼ばれている。

旧約聖書の成立

 旧約聖書は現在は39巻から成るが、本来のヘブライ語原典では、「律法」の5巻(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)、「預言者の書」(ヨシュア記など)、「諸書」(詩編、箴言、ヨブ記など)24巻から成っていた。その後、紀元後70年にユダヤ教の中心だったエルサレムの神殿がローマによって破壊されてユダヤ人が各地に離散する中で、現在のような形の正典として信仰の拠り所となったと思われる。そのころにはユダヤ人はギリシア語の口語のコイネーを使うようになっていたので、旧約聖書もギリシア語に翻訳され(72人の長老によって翻訳されたので「七十人訳聖書」という)、後にローマでキリスト教が公認されてからの414年に、ラテン語に翻訳された。それを「ウルガータ」という。中世ヨーロッパではラテン語の旧約聖書がカトリック教会で用いられた。
 なお、旧約聖書にはメソポタミア文明シュメール人にさかのぼるギルガメッシュ叙事詩の中の「大洪水」の物語などを取り入れていることが判っている。1870年代に明らかになったこのことは、『旧約聖書』を世界最古の物語と信じていたキリスト教徒にとって大きな驚きを以て迎えられた。

旧約聖書は歴史資料となるか

 ユダヤ民族の「信じられた歴史」 旧約聖書の律法と預言者の書に書かれていることは「イスラエル・ユダヤ民族の歴史」である。そこには世の始まりからモーセ出エジプトバビロン捕囚などのユダヤ民族の苦難と栄光の歴史が事細かに物語られている。その内容は古い伝承や資料に基づいているものの、語られている出来事よりもはるか後に「起こったと信じられている出来事」に対する信仰上の主観的な解釈であって、歴史的事実そのものではない。しかも旧約聖書以外のイスラエル・ユダヤ人の同時代の資料はほとんど無く、事実として証明されることは少ない。しかし、すべてを虚構とすることは出来ず、何らかの歴史的事実を反映していることは間違いない。最近では考古学的な資料による裏付けや新資料の発見(死海文書やダビデ碑文など)もあり、その蓋然性を批判的にチェックしつつ、旧約聖書時代の歴史を再構成することは可能である。<山我哲雄『聖書時代史・旧約編』2003 岩波現代新書 まえがき>