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ハールーン=アッラシード

8世紀のイスラーム帝国アッバース朝全盛期のカリフ。文芸、学芸の保護者として知られる。

 イスラーム帝国アッバース朝の第5代カリフ。在位786~809年。アッバース朝の全盛期のカリフとして有名。若い頃782年にビザンツ帝国の都コンスタンティノープル遠征で功績をたて、父の第二代カリフマンスールからアル=ラッシード(正道を踏む者)の名をもらった。786年にカリフに即位し、イスラーム帝国全域に命令を及ぼすこととなった。

カール大帝に対抗

 カリフとなった時代はヨーロッパではフランク王国のカール大帝と同時期であり、フランク側の記録では贈り物の交換をしている。フランクとアッバース朝は、ビザンツ帝国と後ウマイヤ朝という共通の敵を持っていたので、友好関係を持ったことは考えられる。ただし、両者の力関係は、圧倒的にアッバース朝ハールーン=アッラシードが上であった。

イスラーム文化の開花

 彼はまた文芸や芸術を好み、多くの芸術家を保護し、バグダードの繁栄をもたらした。彼がバグダードに建設した「知恵の宝庫」は、アレクサンドリアのムセイオンに伝えられていたギリシア語文献を、アラビア語に翻訳する学術センターとして機能した。この施設は、その子マームーンの時の830年ごろに建設された「知恵の館」に継承された。この時代がイスラーム文明が最も栄えていた時期であった。

Episode 『千夜一夜物語』の時代

 ハールーン=アッラシードは、有名な『千夜一夜物語』にも登場する。またその中でも有名な船乗りシンドバッドの物語の主人公はバクダードの商人であった。シンドバッドのようなアラビア商人たちが活躍していたのが、この時代のアッバース朝の都バクダードであった。またカリフの宮廷は、世界中の富が集まり、豪華な装飾を施した宮廷での生活が行われていたことを示している。

カリフ権威の動揺

 809年にハールーン=アッラシードが死去すると、カリフの地位をめぐり内紛が生じた。まずその子のアミーンが第6代カリフとなり、その異母兄(母や奴隷女だったという)マームーンはホラーサーン総督としてバクダードから離れた。しかしホラーサーンの租税の扱いに対する不満を口実としたマームーンは弟のカリフに反旗を翻し、811年に自らもカリフ位を宣言した。こうしてカリフが同時に二人存在する事態となった。マームーンは軍隊をバクダードに送り包囲攻撃し、アミーンを捕らえ処刑し、カリフの併存は解消されたが、マームーンがバグダードに戻ったのは819年であった。マームーンはアッバース朝の軍隊の改編を行い、また「知恵の館」を開設してイスラーム神学の新たな展開を図るなどの改革を行うことになる。

イスラーム世界の分裂

 アッバース朝はその後も14世紀まで続くが、このハールーン=アッラシードの死とその後の内紛は明らかにカリフの権威を低下させ、アッバース朝の求心力は急速に衰えていった。都バグダードは依然として繁栄していたが、10世紀になると、まず909年にチュニジアに成立したファーティマ朝で、翌910年にカリフを称するようになり、まもなく新都カイロを建設してアッバース朝を脅かすようになる。さらに、イベリア半島のコルドバでは後ウマイヤ朝アブド=アッラフマーン3世が、926年にカリフ位を宣言し、カリフが同時に三人存在する3カリフ時代となる。かつてイスラーム世界の唯一の指導者であり権力者であったアッバース朝カリフの権威の及ぶ範囲は限られたものになってしまった。こうしてイスラーム帝国の分裂の様相は決定的となる。
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