ジンバブエ遺跡
アフリカ東海岸の現在のジンバブエ共和国にある、巨大な石造建築物を中心とした遺跡。「大きな宮殿」を意味する。現在は旧ローデシアがこの遺跡名から国号としている。

ジンバブエ遺跡
注意 モノモタパ王国との関係 なお、かつては、ジンバブエ遺跡は、次の16世紀ごろに現在のジンバブエからモザンビークにかけて、登場したモノモタパ王国の都であった、あるいはその前身の国家であるという伝承が事実として受けとられていたが、現在では事実であるとはされていない。また、考古学上の研究では両者の関係を指摘する説も有力であったが、現在は確実な証拠とはされていない。むしろ、ジンバブエ(遺跡)とモノモタパ王国の関係は否定的に見られているようである。
ローデシアが国号をジンバブエに
なお、この地は後にイギリスのケープ植民地首相セシル=ローズによってイギリスの植民地に編入され、ローデシアと名付けられた。その後、北ローデシアはザンビアとして独立、南ローデシアは1965年に白人政権が一方的にローデシア独立宣言を行ったが、それに反発した多数派の黒人が立ち上がり内戦となった。ようやく、1980年には黒人政権が成立して、白人植民地主義者のローズに由来する国名を破棄し、ジンバブエ遺跡にちなみ、ジンバブエ共和国に改めた。Episode あってはならない黒人王国
(引用) アフリカに偉大な文明か存在していたことの歴史的裏づけなど、行ってはならなかった。なぜなら、それは混乱を招くと同時に、既存の体制を危うくするものだったからである。一四世紀のグレートージンバブエのショーナ宮殿かそのいい例であった。白人の探検家か初めてこの宮殿を見たとき、彼らにはそれかアフリカ人によって建てられたものと思えなかった。ソロモン王の鉱脈という説を唱える人もあれば、シバの女王かそこに住んでいたという人もあり、フェニキア人の居住地だったという説も現れた。同じように、一九一〇年、ナイジェリアで七つの壮大なテープコック彫刻か発見されたとき、それをめぐってふたつの説か登場した。ひとつは、はるか昔に消滅したギリシア人の入植地だという説。ふたつめは、はるか昔に消えたアトランティスの遺跡だという説である。
このように、二〇世紀半ばまで、アフリカの歴史は、まるで人類史の一部ではないかのように、完全に白紙の状態に放置されていた。こうした理由から、アフリカ人の遺産の発掘は、私たちの時代にとっての大いなる文化的な冒険のひとつとなっている。<クリス・ブレイジャ/伊藤茂訳『世界史の瞬間』2004 青土社 p.122>