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モラヴィア/モラヴィア王国/メーレン

チェコの東部をモラヴィア地方という。9~10世紀に西スラヴ人のモラヴィア王国が栄える。近代ではチェコスロヴァキアの一部を構成。

 モラヴィアとは現在のチェコ東部のブルノを中心とした一帯。ドイツ語ではメーレンという。東方から侵入してフランク王国の東辺を支配していた遊牧民アヴァール人がカール大帝に敗れて衰えた結果、この地のスラヴ人の中の西スラヴ人が自立して、モイミールという王のもとで830年頃に建国した。

モラヴィア王国

 9世紀の後半、スヴァトプルク王のころ、現在のチェコとスロヴァキアを併せ、ポーランド南部、ドナウ川中流に版図を広げて有力になった。始めはフランク王国と接触してローマ=カトリック教会のキリスト教を受容したが、フランク王国が分裂して東フランク王国と境界を接するようになると、関係は悪化した。863年頃にはモラヴィア王国の王は東フランク王国と対抗するため、ビザンツ帝国に使節を派遣し、ギリシア正教会(東方教会)を受け容れることを申し入れた。それに答えてビザンツ皇帝は宣教師キュリロス(当初の名前はコンスタンティノス)らを派遣して布教した。これはローマ教会と対抗したギリシア正教の勢力拡大としても重要である。

モラヴィア王国の滅亡

 モラヴィア王国は9世紀の後半には現在の東欧の広い地域を支配する大国であったが、10世紀の初頭に東方から侵入してきたウラル語族の遊牧民、マジャール人(後にパンノニアに定住してハンガリー王国を作る)の侵攻を受けていた。西スラヴ系の部族連合にすぎなかったモラヴィア王国は東フランク王国の助けを借りて抵抗したが、マジャール人の騎馬部隊の前に敗れ、滅ぼされてしまった(906年頃)。モラヴィア王国の支配領域は、南のパンノニア平原にかけてはマジャール人がハンガリー王国を建て、北部のベーメンにはチェコ人が自立してベーメン王国を樹立、ベーメン王国はモラヴィア地域も支配するようになった。さらにその北にはポーランド王国が成立する。この地にキュリロスらによって布教されたギリシア正教はモラヴィア王国の滅亡とともに消滅し、この国の跡地に成立したハンガリー王国、ベーメン王国、ポーランド王国はいずれもローマ=カトリック教会を受容することとなる。

キュリロスとキリル文字

 キュリロスのギリシア正教の布教も失敗し、この地にはカトリックが定着していく。なお、モラヴィアに布教したギリシア正教の宣教師キュリロスは、スラヴ人に布教するにあたって、スラヴ系の言語を表記する文字を考案した。この文字はグラゴール文字といわれ、モラヴィアでは定着しなかったが、後に弟子たちによってブルガリアにもたらされ、キリル文字となった。キリル文字は後東ヨーロッパからロシアまでのスラヴ世界で広く用いられる文字になる。

モラヴィア王国の国名

(引用)9世紀に彗星のように姿を現し、100年と経たないうちに忽然と消えていったモラヴィア王国も、歴史の中でかなり特異な扱いを受けることになった。実はこの国は名称が一定していない。10世紀のビザンツ皇帝コンスタンティノス7世が、その著述の中で“大モラヴィア”という用語を使っていることから、近代になって“大モラヴィア帝国”という大げさな呼び方も通用するようになってしまった。最盛期のスヴァトプルク時代はともかく、それ以前のモラヴィアは公国あるいは王国と呼ぶのが適当だろう。呼び名はともかくとして、もっと重大なのは、この国がチェコスロヴァキアの共通の祖先として位置づけられたことである。すなわちモラヴィアは、後のチェコとスロヴァキアの境界にまたがっていたことから、チェコ人とスロヴァキア人がかつて共存していたことの証として、19世紀以降、しばしば引き合いに出されることになった。要するに、モラヴィアが崩壊した後、チェコ人は自分たちの国家を創り、スロヴァキア人はハンガリーの支配下に入って、別々の道を歩むことになったが、1000年の歴史を超えて、今や再び二つの民族は手を取り合い「チェコスロヴァキア」を創るのだというわけである。しかしモラヴィア王国の実態は、モイミール一族の王朝のもとでスラヴ系の住民がゆるくまとまっていたにすぎず、近代のような民族概念に支えられていたわけではない。チェコ人とかスロヴァキア人とか言う民族がまとまってモラヴィア王国を創っていたと考えるのは、歴史の実態と大きくかけ離れているのである。<薩摩秀登『物語チェコの歴史』2006 中公新書 p.24-26>
 また同書によれば、最近、モラヴィア王国の遺跡が発掘され、文献以外でもその実態がかなり明らかになってきたという。それによると予想外の大規模な防御集落や多くの教会があったことがわかってきているという。
 → チェコスロヴァキア  チェコスロヴァキア解体
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薩摩秀登
『物語チェコの歴史』
2006 中公新書