印刷 | 通常画面に戻る |

パリ大学/ソルボンヌ

1200年に開設された大学で、ソルボンヌといわれる。神学研究では最高峰とされ、多くの高位聖職者を排出した。

 フランスのパリにある、中世ヨーロッパに起源をもつ大学の一つ。1200年に、ノートルダム大聖堂の付属学校から出発した、とされる。アベラールなどの多くの神学者、スコラ学(哲学)者が輩出したことで有名。イタリアのボローニャ大学などと違い、パリ大学は教師の組合が中心となって運営され、自治権を認められていた。
 13世紀には四学部(人文、法律、医学、神学)をもち、その中の神学部が別名をソルボンヌとして発展する。特に1230年代にイベリア半島のレコンキスタが進み、コルドバがイスラーム教徒の手からキリスト教徒の手に帰ったとき、その地のイブン=ルシュド(アヴェロエス)がギリシア語からアラビア語に翻訳していたアリストテレスの著作がもたらされ、アリストテレス学説によるキリスト教神学の合理的解釈が盛行した。しかし、アリストテレス的な合理論が宗教的な真理と理性的な真理を分離する傾向を生み出したため、その両面を統合させる必要のあったローマ教皇庁はトマス=アクィナスをパリ大学の教授として送り込み、トマスの説くスコラ哲学を正統な学問とし、アヴェロエス派を禁止することとなった。

ソルボンヌといわれる理由

 ソルボンヌとは、パリ大学神学部に学寮をつくった人物に由来する。1253年にルイ9世に仕えた聖職者ロベール=ド=ソルボンが神学部の学寮を設立し、それがソルボンヌ学寮と言われたことによる。トマス=アクィナスの他、インノケンティウス3世、ドゥンス=スコトゥス、ロジャー=ベーコンなどもここで学び、たいへん有名になった。後にはソルボンヌがパリ大学全体を意味するようになる。

Episode 酒屋のけんかから大学の自治が始まる

(引用)パリ大学のパリ市からの独立は、1200年に、たまたま起こった学生と警官の衝突を契機として達成された。事件は、あるドイツ人学生(リエージュ司教候補者)の従僕がいきつけの酒屋で侮辱されたのを理由に、一団のドイツ人学生が酒屋をおそったことからはじまる。訴えをうけたパリ市警察が犯人逮捕に向かうや、学生たちは猛然と抵抗し、大乱闘のすえ、学生がわに五人の死者が出た。大学がわはただちに国王フィリップ2世に抗議し、警察の責任者を処罰しないなら、大学はほかに移転するであろうと通告した。見方によればたいへんな横車であるが、フィリップ2世は大学の要求を受けいれると同時に、パリ市警察の権限は大学関係者におよばないこと、大学関係者はすべてノートル・ダムの裁判権のもとにあることを確認した。今日でも、パリ大学が公式に独立したのはこのときとされている。<鯖田豊之『世界の歴史9 ヨーロッパ中世』1989 河出書房 p.344>
 大学構内に警察官が立ち入ることは、大学の自治を犯すこととして、1200年からすでに禁じられていたわけです。
 1968年5月、フランスの学生の間で始まった学生運動の世界的な高揚のきっかけは、5月3日にソルボンヌの構内で開催された大学改革を訴える学生集会に、警察官が導入され、学生が逮捕されたことから始まった。それはフランスでの五月危機というド=ゴール退陣に結びつく政治的変革をもたらし、また世界中で大学の自治が叫ばれ、スチューデントパワーが爆発した。
印 刷
印刷画面へ