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ルイ15世

18世紀中ごろのフランス・ブルボン朝の国王。1723年に親政を開始、ルイ14世に続き対外戦争を盛んに行い、イギリスとの殖民地戦争を展開したが、そのためフランスは財政難に陥る。

 フランスブルボン朝の国王(在位1715~74年)、ルイ14世の曾孫。1715年にルイ14世が死去、わずか5歳で国王となったので、はじめはオルレアン公フィリップが摂政として政治を執り、1723年から親政を開始した。国内政治では比較的平穏であったが、対外的にはヨーロッパではポーランド継承戦争1733年~35年)、オーストリア継承戦争1740年~48年)、七年戦争(1756~63年)に介入したが、プロイセン王国の台頭を許すなど、困難な局面を迎えていた。ただしこの間、フランスは1768年、コルシカ島をジェノヴァから買収、また1766年にルイ15世の義父の元ポーランド国王であったロレーヌ公が死去したため、ロレーヌ公国を併合している。

海外植民地の喪失

 しかし、オーストリア継承戦争と並行して行われたジョージ王戦争、さらに七年戦争の時のフレンチ=インディアン戦争プラッシーの戦いなどのイギリスとの植民地戦争でいずれも劣勢になり、アメリカ大陸とインドのいずれにおいても植民地の喪失が続いた。これらの対外戦争の出費増はフランスの財政を圧迫し、次のルイ16世時代に深刻な事態をもたらすことになる。
 ルイ15世の宮廷で最も権勢を振るったのが、その公式愛妾のポンパドゥール夫人であった。オーストリア・ハプスブルク家のマリア=テレジアと結ぶ外交革命に成功したのもこの夫人が仲介したことによる。

啓蒙思想とロココ様式の文化

 ルイ15世が統治した18世紀のフランスには、ヴォルテール、ルソー、ディドロなどの啓蒙思想が登場し、まず思想面から市民革命が準備された時代であった。またヴェルサイユ宮殿では、ロココ様式と言われる、優雅で瀟洒な宮廷文化が流行した。その保護者となったのもポンパドゥール夫人であり、その保護のもとで宮廷画家ブーシェらが活躍した。
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