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最高価格令

1793年、ジャコバン派独裁政権の時に制定された物価統制令。ブルジョワと農民の双方が強く反発し、独裁政権が倒れる要因の一つとなった。

 フランス革命の中で、独裁権力を握ったジャコバン派ロベスピエールが主導して、国民公会で制定された法律。まず1793年の5月4日に穀物と小麦粉の最高価格を定めた。さらに9月29日には生活必需品・食糧を含むすべての商品価格を公定する「全最高価格法」を制定した。また賃金最高価格法も定められた。違反者には反革命罪が適用された。
 この価格統制は、自由経済での物価の変動を無くし、特に都市での食糧高騰を防ぐ目的で定められ、当初は一般市民の支持もあったが、自由競争を望む商工業ブルジョワジーと生産物を高く買ってほしい農民は強く反発した。また、賃金最高価格法に対しても市民の不満が高まっていって、ロベスピエール独裁の典型的な施策として非難されるようになり、1794年のテルミドールのクーデタの要因の一つとなった。民衆が「暴君をたおせ! 最高価格制をたおせ!」と叫ぶなか、コンコルド広場でロベスピエール派は処刑された。年末には最高価格令は廃止され、一切の価格統制は廃止された。

Episode 「石鹸の日」 主婦が公定価格を決める

 前国王ルイ16世処刑に始まった1793年は、外国干渉軍からフランスを守ると称して30万の強制による徴兵制の実施、それに反発したヴァンデーの反乱がおこるなど不安が増大していた。そのような中、パリでは生活必需品の値上がりが続き、市民の怒りは頂点に達していた。2月25日には後に「石鹸の日」といわれるパリの主婦たちの物価値上げに対する実力行使があった。その日のパリ市民の日記を見てみよう。
(引用)2月25日 月曜日 南の風、今年になって一番の暖かさ。<今日パリで、生活必需品の値上がりに抗議する反乱が起きた>反乱の兆しは二日前からあった。パリの至るところで、主婦たちは区(セクシオン)に不満を訴え、市庁に苦情をもちこんだ。昨日は、主婦たちは国民公会にまで押しかけて苦情をぶちまけ、もし要求を聞き届けない場合は、さらに強硬な手段に訴えると言った。
 昨日は、もう一週間分しか小麦粉がないという噂が流れたために、民衆はパン屋へ押し寄せた。それに、パン屋をつぎつぎと回って買い占めをする者が出てきた。この連中は、パンを一個買えばいいものを、五個、六個、いやそれ以上買い集めて、他の人にひもじい思いをさせるのだ。その結果、朝の九時にもうパンが一個もないパン屋もあった。このことがパリじゅうに不安と恐怖を投げかけた。今日も買い占めがおこなわれ、パンは手にはいらなかった。
 これがパン屋の襲撃と、絞首刑にしろという威嚇の叫びとなって爆発した。パリのいたるところで民衆、とくに主婦たちがぞくぞくと集まり、正午にはもう制止できなくなった。彼女たちはどんな説得にも耳をかさなかった。
 食料品店は石鹸0.5キロを30ソル、砂糖1.5キロを35ソル、蝋燭0.5キロを20から22ソルで売っていた。主婦たちは全部の食料品店、蝋燭屋へ押しかけ、砂糖25ソル、石鹸15ソルから16ソル、蝋燭16ソルと価格を定めた。主婦たちは、ありがたいことに、略奪こそしなかったが、大挙して各商店に押しかけて、蝋燭、砂糖、石鹸を安く買い取った。この暴動が朝の八時まで続いた。略奪だけは防ごうと全員武装していたが、主婦たちの決めた値段で商品が売られるのは放置した。こうした事態のなかでは、威嚇があったり、またこれを扇動する人々もいた。
 今夜九時には、すべて平静にもどった。市職員や区の委員は警戒のため夜明かしをすることになろう。死者を出さずにすんだが、人々は明日の生活に不安を抱いている。主婦たちは全食料品の公定価格を定めるよう強く望んでいる。明日、国民公会が開かれ、民衆を満足させるような対策がとられるであろう。民衆の決意は固いようだ。それにしても、三〇万の強制徴兵令がだされたばかりの時だけに、こうした状勢になったのはまずい。普段は穏和な市民まで落ち着きを失っている。不安におびえているのだ。<セレスタン・ギタール著/レーモン・オベール編/河盛好蔵監訳『フランス革命下の一市民の日記』1986 中公文庫>
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フランス革命下の一市民の日記
セレスタン・ギタール著
レーモン・オベール編
河盛好蔵監訳
『フランス革命下の一市民の日記』
1986 中公文庫