印刷 | 通常画面に戻る |

正統主義

ウィーン会議でフランスのタレーランが主張した会議の理念。フランス革命前の国際秩序に戻すこと。

 1814年、ナポレオン戦争のヨーロッパの国際秩序の再建について話し合うウィーン会議が開催されると、敗戦国フランスの代表として参加したタレーランは、他のオーストリア・プロイセン・ロシア・イギリスの4国が闇取引をしてフランスの領土を侵害することを警戒して、会議は公法の原則にしたがって開催すべきであると主張した。また、各国の領土は正統な君主のものであると主張し、フランス本土の解体を阻止しようとした。その「正統」とは絶対王政の王位の復活と捉えられているが、タレーランが守ろうとしたのはフランスの旧国土であった。各国代表も、それぞれ領土拡張をめざして取引をしようとしたため「会議は踊る」状態で話がまとまらなかったが、「正統主義」というある種の大義名分が打ち出されたことによって、「革命前の国境に戻す」という原則に収斂していった。会議を主導したオーストリアのメッテルニヒも同意したことによって、正統主義はウィーン会議の理念とされ、それがウィーン議定書としてまとめられた。
 フランス革命前の君主の復活という原則は、フランス王国のブルボン朝シャルル10世の即位の他、スペイン王国とナポリ王国のでのスペイン=ブルボン朝などで実現し、北イタリアの小公国などは復活した。しかし、1806年のナポレオンによるライン同盟の結成によって消滅した神聖ローマ帝国は復活せず、ポーランド立憲王国はロシア皇帝が王位を兼ねたので、徹底されたわけではなかった。
印 刷
印刷画面へ