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第二共和政憲法(1848年憲法)

1848年11月、第二共和政のもとで制定されたブルジョワ民主主義憲法。1851年12月、ルイ=ナポレオンのクーデターによって失効した。

 二月革命によって七月王政を倒して発足したフランス第二共和政の基本法として、男性普通選挙で撰ばれた立憲議会(憲法制定国民議会)において審議され、1848年11月4日に発布された憲法。

背景とポイント

 二月革命は金融資本家、産業資本家などブルジョワの支持を受けた穏健な共和派と、労働者の支持を受けた社会主義派(急進共和派)の協力によって成功し、七月王政を倒したが、臨時政府部内で両者の対立が表面化、4月に実施された男子普通選挙で社会主義派が後退したことから共和派が国立作業所を閉鎖して対立は深刻となり、ついに六月暴動となった。労働者側は政権から排除されたが、共和派も統治能力を欠き、暴動を鎮圧した軍人カヴェニャックが実権を握った。そのような情勢のもとで憲法制定国民議会は、共和制・人民主権を認めながらも、強力な大統領による安定した統治を望んだ。その結果この憲法が、739票対30票という圧倒的支持で成立した。

第二共和制憲法のポイントと問題点

 ・人民主権の規定 ・一院制の議会(男性普通選挙) ・大統領制(男性普通直接選挙で選出)
の三点。形式的には三権分立が採られているが、議会・大統領共に直接選挙で選ばれる二元制であり、議会は立法権のみに限定され、大統領に強い権限が付与されていた。
 第二共和政憲法はフランス革命以来の「自由・平等・博愛」を掲げ、家族・労働・財産・公共の秩序を基礎とする、ブルジョワ共和政憲法である。しかし、第二共和政がブルジョワ勢力と労働者の対立下にあったことを反映し、労働の権利は「慈善の義務」にすり替えられ、言論・出版・集会の自由には公共の安全に反しない限り、という制限がつけられた。また三権分立の原理に従い、立法権は男子普通選挙によって選出される立法議会(一院制)がもち、行政権は国民の直接投票によって選出される大統領にあたえられた。大統領は任期4年、再任不可とされていたが、軍事・外交上の大権、閣僚・官吏の任免権など大きな権限が与えられていた。大統領の再選禁止は、権力の固定化を避ける工夫であったが、国民の任期延長要求を口実とした改正の余地を残すこととなった。

ルイ=ナポレオンのクーデタ

 この憲法下の12月に実施された選挙によって選出されたのがルイ=ナポレオンであった。ルイ=ナポレオンはナポレオン1世の甥と言うこともあって、圧倒的な国民的支持を受けていたが、議会内にはその支持者は少なく、多数派は旧王党派系の秩序派であり、第二勢力が共和派であった。このような大統領と議会の二元政治が行われる中で、問題となったのが大統領の再任禁止規定であった。ルイ=ナポレオンは1851年のクーデタを決行して議会の反対派を追放し、翌52年に大統領任期を10年に延長した憲法を制定したため短命な憲法に終わった。
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