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スコット

イギリスの海軍大佐で南極探検家、1912年に南極点に達したが帰路、遭難死した。

 ロバート=スコット。20世紀に入り、残された大陸として南極大陸への大国の視線が強くなる中、イギリス海軍の士官スコットは、世界で最初の南極点到達という使命を帯びて探検隊の隊長に任命され、1910年6月1日、テラノバ号に乗船、ロンドン港を出帆した。2ヶ月ほど遅れてアムンゼンを隊長とするノルウェー隊も南極に向かった。なお、白瀬矗しらせのぶを隊長とする日本隊も同年12月、南極を目指した。

アムンゼン隊に後れを取り、帰路に遭難

Robert F. Scott at Polheim

北極点に達したスコット隊
そこにはすでにノルウェー国旗が立っていた
Wikimedia Commons

イギリス隊とノルウェー隊は、どちらが先に南極点に達するか、競争する状況となり、南極大陸上陸後はそれぞれきびしい自然との闘いを強いられた。スコット隊が1912年1月17日に南極点に達したが、そこにはすでにノルウェー国旗が立てられており、スコットは競争に敗れたことを知った。実は1ヶ月前の1911年12月14日アムンゼン隊は、南極点に到達していたのだった。スコット隊は失意のうちにキャンプに戻ろうとしたが、途中嵐に遭い、スコットと4人の隊員が遭難死した。その年の11月に捜索隊がスコット隊の遺体と記録・写真を発見、極点到達が証明された。スコットの悲劇は、ツヴァイクの『歴史の決定的瞬間』に詳しく述べられている。
 スコットがアムンゼンとの競争に敗れた理由は、様々に取り沙汰されている。アムンゼン隊の方がスコット隊より優れていたのは、その経験値(極地探検における実力)であったと考えられる。例えばアムンゼン隊はエスキモー犬にソリを引かせていたが、スコット隊は馬をつかい、その飼料のマグサを運ぶのに苦労したなど、である。スコットに同情的な見解としては、1912年3月、スコット隊は数年に一度という極度の悪天候に見舞われたことを最大の不運としてあげている。

Episode スコット敗北のもう一つの原因

 もう一つ、スコットの敗因としてビタミンCの不足が彼らの力を奪ったことも上げられる。ビタミンCの発見は1930年代のことであるが、すでに果物や野菜の摂取が不足すると壊血病になることは、18世紀のクックの航海の成功で知られていた。(遠洋航海術の項を参照)
 しかし、イギリス海軍の中には依然として壊血病は感染症で、腐った肉を食べたのが原因だと考える人も多く、スコットもその一人だった。そのため、アムンゼンは栄養面から十分な対策を立てていたのに対して、スコットはその用意がなかったため、南極点到達に後れを取ったばかりか、帰路に力尽きて、基地まであと18kmの地点で全滅の憂き目を見た。<佐藤健太郎『世界史を変えた薬』2015 講談社現代新書 p.34>

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書籍案内

ツヴァイク/辻ひかる訳
『歴史の決定的瞬間』
1997 白水社

本多勝一
『アムンセンとスコット』
2021 朝日文庫