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白蓮教徒の乱

清朝の1796年に起こった仏教系秘密結社に率いられた農民反乱。鎮圧されたが清朝の衰退が明らかとなった。

 の嘉慶帝即位の年、1796年に起こった白蓮教徒に指導された農民叛乱。清朝の郷勇の力によって1804年に鎮圧されたが、清朝の衰退の始まりとなった反乱事件であった。元末の紅巾の乱も白蓮教徒が最初に起こした反乱なので、白蓮教徒の乱という場合もあるので注意しよう。

白蓮教

 白蓮教は起源は5世紀にさかのぼるが、白蓮社という宗教教団が結成されたのは、12世紀の南宋で、民間に広がった仏教の一派である。呪術を取り入れて布教し民衆に広がるが、正統な仏教からは邪宗とされ、社会不安と結びつくのを恐れた権力側からきびしく取り締まられた。の末期には、貧民を弥勒仏が救済してくれるという弥勒信仰と結びつき、たびたび農民反乱が起きた。元末に白蓮教徒が起こしたのが紅巾の乱で、1351年の韓山童とその子韓林児が指導して反乱を拡大させた。明を建国した朱元璋ははじめ紅巾の乱に参加したが、後に韓林児を殺して反乱を鎮定、権力を握り明王朝を建国、その後は白蓮教を弾圧した。

白蓮教徒の反乱

 その後も白蓮教系の秘密結社が活動を続け、清の嘉慶帝の時、1796年にはじまり、1804年なで広範囲な地域で反乱を起こした。清軍は現地の警察力である緑営には鎮圧する力がなく、また派遣された軍隊である八旗も反乱軍に敗れてそれを抑えることが出来ず、現地の住民が組織した団練の力を借りて鎮圧した。十年近くかかった反乱鎮圧は莫大な軍事費を支出し、また正規軍の弱体化し、民兵である郷紳に依存したことがはっきりして、清朝の衰退が明らかになった。
 なお、白蓮教徒の反乱鎮定後もその一派である天理教徒は1813年、北京で天理教徒の乱を起こしている。いずれも鎮圧されたが、清朝の社会不安を示す動きであった。 
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