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メイン号事件

1898年、米西戦争の端緒となったキューバでのアメリカ軍艦の爆沈事件。

 1898年2月、当時スペイン領だったキューバのハバナ沖に停泊していたアメリカの軍艦メイン号が突然爆沈し、250名の乗組員が死亡した。爆沈の原因は明らかではないが、アメリカ国内の世論はスペインの謀略であるという見方が強くなった。背景には当時普及し始めた新聞が、読者を獲得するためにセンセーショナルな報道合戦を行ったことがあった。これを機に「メイン号を忘れるな、スペインをやっつけろ!」という大合唱がおこり、一部の膨張主義者にとって好都合となり、マッキンリー大統領も開戦を決意し、1898年4月に議会が宣戦を布告し、アメリカ=スペイン戦争(米西戦争)が始まった。

Episode 「死の商人」と化した新聞

(引用)この頃アメリカで生まれた新聞は、部数拡大のために、事実の裏付けのない記事を載せていた。他の新聞より多く売りたいために誇大な見出しを付け、口調はエスカレートする。当時、二大イエローペーパーといわれたのが、今もアメリカのマスコミ界に君臨するハースト系の「ジャーナル」紙と、優れたジャーナリズム活動に贈る賞に名が残るピュリッツァーの「ワールド」紙である。ピュリッツアーは、「このときは戦争になってほしかった。大規模な戦争ではなくて、新聞社の経営に利益をもたらすほどのものを」と公然と語っている。ハーストは早くから、有名なジャーナリストを特派員としてハバナに派遣していた。この特派員は「一発の銃声も聞かないので、帰国しようと思う」と連絡をしてきたが、ハーストは「しばらく待て。私が戦争を用意する」と電報を打ち、「本紙の特派員は、キューバ反乱軍に接触した」と、うその記事を掲載する。
 湧き起こる世論に押されて、アメリカ政府はスペインに宣戦布告した。新聞が「死の商人」と化し、戦争を起こしたのだ。<伊藤千尋『反米大陸』2007 集英社新書 p.59-60>
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伊藤千尋『反米大陸』
2007 集英社新書

著者は元朝日新聞の中南米特派員。支局長を務めたジャーナリスト。自戒を込めた言葉であろう。