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ローザンヌ会議/ローザンヌ協定

1932年、世界大戦のドイツの賠償問題と英仏の対米戦債問題について開催された国際会議。ドイツの賠償金総額を30億金マルクに減額し、事実上賠償問題は打ち切られた。

 第一次世界大戦後の賠償問題は、世界恐慌が起こったのでフーヴァー=モラトリアムが出され、一旦支払いが猶予されたが、その猶予期限が切れるため、事前に合意が必要であるところから、イギリスとフランスのよびかけで1932年6月16日から7月上旬まで、スイスのローザンヌで賠償金問題会議が開催され、18ヵ国が参加した。ドイツを含むヨーロッパ各国が参加したが、肝心のアメリカは参加しなかった。

事実上の賠償金の棚上げ

 ローザンヌ会議は、ドイツがヴェルサイユ条約第231条のドイツの大戦責任条項の削除を要求したため紛糾し、進展しないまま、結局ドイツからの賠償金取り立ては不可能であることを認めざるを得ないこととなった。
 7月9日、ローザンヌ会議の結果としてローザンヌ協定が成立し、ドイツの賠償支払いをヤング案の約12分の1にあたる約30億金マルクに減額することで合意した。ただし、ローザンヌ協定では賠償金という言葉は用いられず、ドイツの支払う約30金マルクはヨーロッパ復興資金に充当するものとされた。これによってドイツ賠償金問題は事実上打ち切られたと見て良い。
 イギリス・フランスは賠償問題の終焉と引き替えにアメリカに対する戦債を帳消しにする積もりであったので、イタリア・ベルギーを誘って四国で申し合わせ、戦債についてアメリカとの協定が成立しないうちはローザンヌ協定を批准しないことを申し合わせた。しかし、アメリカはそれを認めなかった。 結局、イギリス・フランスの対米債務は、以後、事実上曖昧となり、ドイツではまもなくヒトラー政権の登場を見て情勢は一変する。このようにして1920年代の「国際協調」はその経済的基礎を失ったのである。<齋藤孝『戦間期国際政治史』岩波現代文庫 旧版 p.141-142,149>
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