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ワールドカップ(サッカー)

1930年に始まるサッカーの国際大会。1934年、ムッソリーニ政権下でイタリア大会が開催された。

 サッカー(イギリスではフットボール)はイギリス(イングランド)で生まれたスポーツで、イギリス植民地帝国=大英帝国(第二帝国、パックス=ブリタニカの時代)が世界を支配した19世紀後半に世界中に広がった。南米の新しい独立国では国民意識の形成のためにサッカー熱が強められ、アルゼンチンウルグアイが強豪チームとして成長した(ブラジルは当初、黒人が選手から除外されたためこの二国より弱かった)。

ワールドカップの始まり

 20世紀初頭に世界的なサッカー競技団体の結成の動きが出たが、イギリス4協会(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド)はそれに反対し、1904年のFIFA(国際サッカー連盟)の結成に加わらず、1930年の第1回ウルグアイ大会にも参加しなかった。ウルグアイはその年が実質的な建国百年にあたっており、熱心な招致運動を展開して開催国となり、また決勝では宿敵アルゼンチンを破って第1回の優勝国となった。
 1934年の第2回イタリア大会はムッソリーニのファシズム政権が積極的に宣伝に利用、36年のナチス・ドイツのベルリン=オリンピックに影響を与えた。
 その後、第二次世界大戦中の2度の中止をはさんで、2002年にはアジアで最初の日韓共催大会が開かれ、2010年のアフリカ大陸での最初の南アフリカ大会を経て、2014年のブラジル大会で20回をかぞえている。サッカーのワールドカップは、オリンピックと並んで世界中の人々が熱中する重要なスポーツイベントとなっているが、第2回イタリア大会が「ムッソリーニの大会」と言われたように、権力者に利用されたり、国家間の対立が持ち込まれたり、またワールドカップの勝敗をきっかけに関係が悪化したり、政治に翻弄されることもあった。

Episode ムッソリーニの大会

(引用)1934年のイタリア大会は「ムッソリーニの大会」だった。イタリア首相にしてファシスト党のドーチェ(総統)、ベニート=ムッソリーニが自分の権力を固めるために最大限に利用した。競技会場は国家ファシスト党スタジアム(ローマ)やベニート・ムッソリーニ・スタジアム(トリノ)などの名がつけられた。イタリアの優勝のために、前回準優勝国アルゼンチンの主力選手三人(イタリア系)を引き抜いたのをはじめ、審判に対する買収・脅迫にいたるまで、なりふりかまわず、あらゆる手段がとられた。ムッソリーニはイタリア代表の試合すべてを観戦し、ゴールが決まるたびに、満員の観衆は貴賓席に向かってハンカチを振った(振らされた)。ホスト国のイタリアは、不正工作と若干の運に助けられて、ムッソリーニの命令通りに優勝をとげた。・・・<千田善『ワールドカップの世界史』2006 みすず書房 p.32>

日本と韓国の共催 2002年大会

 2002年の第17回大会は、日本と大韓民国の共催となり、両国の会場で試合が行われた。それまでワールドカップはアメリカ大陸とヨーロッパ大陸の二大陸だけで開催されており、それ以外の大陸での開催を求める国際世論が強かったことにより、1986年にFIFAのアヴェランジェ会長がアジア・アフリカでの開催を提案した。日本サッカー協会は89年に名乗りを上げ、1993年にはJリーグを発足させ、サッカーブームが起こった。韓国もサッカーでは日本より先進国であるという意識が強く、すぐに立候補し、それぞれ単独開催を目指して競合することとなった。FIFA理事会に対する両国の激しい招致合戦が行われたが、96年に初めて両国共催で落着した。その後も、大会の名称問題・決勝開催地などで対立したが、大会表記は英文表記でKorea/Japanとすること、決勝は日本の横浜で開催することで決着した。
 共同開催までには、1997年の韓国から始まったアジア通貨危機、2001年1月の日本の教科書検定問題(日本の植民地支配を正当化する記述のある教科書が文科省の検定を通過したことに韓国が抗議した)、同年9月の同時多発テロなどによって何度か開催が危ぶまれたものの、両国の努力で開催が実現したことは大きな成果であった。日本では、一時低迷していたサッカー人気に再び火がつき、一大ブームとなったほか、韓国に対する親近感が強まり、テレビドラマなどでのいわゆる「韓流ブーム」が到来した。韓国においても、それまで封印されていた日本の映画や音楽、テレビなどをかなりの部分での解禁に踏み切り、日韓関係は民間レベルで大きく改善された。
 しかしその後、日韓関係は反動期に入ったのか、2010年代の日本は、竹島問題と、靖国神社と従軍慰安婦を焦点とした歴史認識問題というやっかいな問題が表面化し、異常な嫌韓本がベストセラーになったとされて本屋の店頭に飾られたり(実際どれだけ売れているのか知らないが)、無残なヘイトスピーチが横行している状況になっている。日韓双方の政権がそれぞれ相手を貶めることによって自己の権威を維持しようとしているとしか見えないが、すくなくとも市民目線では、両国がスポーツの祭典を共同で成し遂げたことを忘れないようにしたい。
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書籍案内

千田善
『ワールドカップの世界史』
2006 みすず書房