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アスワン=ハイダム

エジプト革命を成功させたナセルが、工業化の電源確保のためナイル上流に建設を計画したダム。その建設費用を得るためスエズ運河国有化に踏み切り、第2次中東戦争の要因となった。

 第一次中東戦争で敗れたエジプトにおいて、エジプト革命を成功させて権力を握ったナセル政権のもとで計画されたナイル川の上流でのダム建設。
 ナセルは、農業近代化と耕地拡大のための灌漑用水確保、また工業化のための電源確保のためにナイル川上流へのダム建設を計画した。1954年に建設が決定され、当初はアメリカも資金を援助する予定であったが、アメリアのイスラエルへの武器援助に対抗してナセルがソ連から武器を輸入するなど、ソ連寄りの姿勢を見せたので、アメリカがダム建設費用の援助を拒否した。世界銀行もアメリカに同調し、当初約束していた融資を撤回した。

スエズ戦争勃発

 西側からの融資の道が断たれたナセルは、その建設費用をスエズ運河国有化によって得ることに踏みきった。運河会社の株を所有するイギリス・フランスは強く反発、エジプトと対立していたイスラエルを誘い、三カ国がスエズ運河地帯に出兵、スエズ戦争(第2次中東戦争)となった。エジプトは戦闘では三国軍に敗れたが、アメリカのアイゼンハウアー政権は英仏・イスラエルの出兵を非難、ソ連もエジプト支援を明確にしたので三国軍は撤退、ナセルはスエズ運河国有化を達成するという政治的勝利を占めた。
 スエズ戦争後の1958年にソ連が資金援助を開始、1960年に工事を開始し、1970年に完成した。ナイル川中流に出現した人造湖はナセル湖と名付けられた。

Episode ナイルに沈む歴史

 アスワン=ハイダムが完成すると、ダムより上流のエジプト(竣工当時はアラブ連合)からスーダンにかけてのナイル川流域がダムに沈むこととなった。この流域のヌビア人が約10万人が、政府の手で移住させられることとなった。またこの流域は古代ヌビア文化の遺跡が点在しており、その多くが水没することになった。その中の最も重要な遺跡である3300年前のラメセス2世の建造したアブシンベル神殿はユネスコの手で分解され、移築されることになった。大神殿は幅約38m、高さ役33mの岩肌に4体のラメセス2世像があり、小神殿は王妃ネフェルタリの像を中心に高さ10mの立像が6体並んでいる。これらの神殿は、合計で1041個の岩塊に解体され、水位の及ばない高さの土地に移築された。工事は1963年から5年間、3600万ドルの費用をかけ、68年9月に完成した。<鈴木八司『ナイルに沈む歴史』1970 岩波新書>
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鈴木八司
『ナイルに沈む歴史』
1970 岩波新書