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ウガリト/ウガリット

フェニキア人がシリア海岸に築いた都市の一つ。前14世紀、東地中海交易で繁栄し、楔形文字を表音文字として用いた。

 ウガリト Ygarit はウガリットとも表記する。フェニキア人が前15世紀に築いたという都市国家。現在のシリア海岸のラス・シャムラ。ラス・シャムラはアラビア語で茴香(ういきょう)の丘の意味。
 農民が偶然発見した遺跡を、1929年にフランスの発掘隊が本格的に調査し、現在までに後期青銅器時代に至るまで5層の文化層が確認され、フェニキア人が政治的・軍事的にはエジプトやヒッタイトの支配を受けながら、エーゲ海やギリシア本土との交易で繁栄し、前14世紀にはこのウガリトが繁栄したことが判ってきた。周辺に150もの村や町を従えた王国の領域は2000平方キロに及び、最盛期には人口およそ5万を擁した。中心の都市部は城砦を兼ねており、王宮や神殿、図書館などのほか、一般人や役人の家も建ち並んでいた。

東地中海交易で栄える

 現在のシリアの東地中海に面した海港であったウガリトは、「古代世界のベイルート」の役割を果たしていた。現在のレバノンの首都ベイルートは、1975年のレバノン内戦以前は「中東のパリ」と謳われ、あらゆる商品の中継貿易港として栄えていた。キプロス島からは最も重要な商品として銅が輸入され、エジプト第19王朝のメルエンプタ王(前1213~前1203年頃)はウガリトで青銅製の剣を造らせている。黄金はエジプトから安く輸入して、ヒッタイトへ高く売却していた。銀は「銀の山」タウルス山脈からもたらされた。黄金や銀市場での投機から、ウガリトは利益を得ることができたのである。<小林登志子『古代オリエント史』2022 中公新書 p.100-101>

楔形文字を表音文字として使用

 最も人々を驚かせたのが、この遺跡から多数の楔形文字の文字版が出土したことであった。国際都市であったウガリトでは4カ国語の語彙対照表も出土しており、アッカド人語やフルリ語、シュメール語も使用された。ウガリト語で書かれた神話や叙事詩が一連のテキストとして発見された。
(引用)ウガリトの書記はここで驚くべき発明をした。それまで知られていた楔形文字を音節文字としてではなく、1字で1つの音価を表す表音文字として用いたのである。それは、わずか30文字からなる楔形文字による初のアルファベットであった。つまり、それまで、主にメソポタミアを中心に使われてきた500種類以上もある複雑な文字体系を一新するものであり、まさに一種の「言語革命」と言えるものであった。<佐藤育子「フェニキアの台頭」『通商国家カルタゴ』興亡の世界史 2009 講談社 後、2016 講談社学術文庫 p.30-32>

「海の民」の侵入によって衰退

 ウガリトは北方のヒッタイトと、南方のエジプトという強国の間にあって、交易の中継地として前14世紀ごろ、最も繁栄したらしいが、前1200年ごろ、「海の民」の侵攻を受けて滅亡し、都市は廃墟となった。これは青銅器時代の終わりを象徴する事件のひとつであるが、それとともに楔形文字のアルファベットも消滅してしまった。
 フェニキア人はその後、南に移り、シドンティルスを建設し、さらに西地中海の交易活動を展開し、シドンは植民市カルタゴを建設することになる。
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書籍案内

佐藤育子・栗田伸子
『通商国家カルタゴ』
興亡の世界史 2009
講談社学術文庫 2016

小林登志子
『古代オリエント全史』
2022 中公新書