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ブラーフミー文字

マウリヤ朝アショーカ王時代のインドで用いられた文字。系統は不明だが東南アジア各地の文字に影響を与えた。14世紀ごろまでに忘れられ、現在のヒンディー語はデーヴァナーガリー文字で表記されている。

アショーカ王碑文の一部

サールナートで発見されたアショーカ王碑文の一部(東京外語大AA言語文化研究所編『図説アジア文字入門』p.17)

 紀元前3世紀、古代インドのマウリヤ朝アショーカ王の時代に用いられた文字。どの系統の文字から作られたか不明であるが、その後のインド各地の文字やチベット文字、東南アジアで用いられたインド系文字のもととなった。ビルマ文字クメール文字タイ文字などがその例である。グプタ朝ではこの文字から派生してグプタ文字が作られ、それからサンスクリットを書き表すための梵字が生まれた。 → 文字
 → 出題 東南アジアの文字

イスラーム化とともに忘れられる

 ブラーフミー文字そのものはインドがイスラーム化した14世紀頃にはすでに忘れ去られ、インド人も読めなくなってしまった。解読に成功したのはイギリス人のプリンセップで、彼は西北インドで出土する貨幣の表にギリシア文字、裏にインド文字が彫られているのを手掛かりに、アショーカ王の碑文を解読した。<参考:中村元『古代インド』講談社学術文庫 p.175-176> → 東南アジアのインド化

インドとその周辺の文字

 インドでブラーフミー文字に代わって用いられるようになったのはデーヴァナーガリー文字である。この文字は6世紀ごろに北インドで広く用いられていたシッダマートリカー文字(日本では悉曇文字あるいは梵字といわれる)からから派生した文字であるが、源流はブラーフミー文字であったと思われ、同じような規則性がある。10世紀ごろ現在のような形――字形の上部の横線が単語ごとつながる――になったと思われ、現在ではヒンディー語、ネパール語などで広く用いられている。独立語に制定されたインド憲法で、インド全体の公用語とされたヒンディー語はディーヴァナーガリー文字を使用すると定められている。その他、インド西部からバングラデシュで用いられているベンガル文字、南インドのタミル語を書き表すタミル文字、スリランカのシンハラ語を表記するシンハラ文字などはいずれもディーヴァナーガリー文字と同系列のである。<『図説・アジア文字入門』河出書房新社>
 → 地球ことば村 デーヴァナーガリー文字