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チャーハマーナ朝

北インドのラージプート諸国の一つ。デリーを都としていたが、1192年、イスラーム勢力のゴール朝ムハンマドの敗れ、滅亡。それによってインドのイスラーム化が進み、デリー・スルタン朝の出現となった。

 10~12世紀のインドラージプート諸国の一つで、ラージプート時代に北インドを支配した。はじめプラティハーラ朝に従っていたが、10世紀半ばに独立、12世紀に全盛期となり、デリーに進出した。

ゴール朝の侵攻に敗れる

 1191年、中央アジアのイスラーム教国ゴール朝の王ムハンマドが軍を率いて侵攻してくると、チャーハマーナ朝のプリトゥヴィーラージャ3世はラージプート諸国の連合軍を率いて戦い、デリー近くのタラーインでこれを撃退した。しかし、翌1192年、ふたたびゴール朝軍が侵攻してくると、ラージプートの連合は内紛から分裂したため、敗北した(第1次、第2次のターライン戦争)。この敗北によって王が処刑され、チャーハマーナ朝は滅亡し、イスラーム勢力(ムスリム)によるインド支配の道が開けることになった。デリー最後のヒンドゥー王となったプリトヴィーラージャは、その騎士道精神を称えられ、ロマンチックな戦記物語の主人公として後世に伝えられた。 → インドのイスラーム化

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