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デリー

インドのデリー=スルタン朝の都とされた所。ムガル帝国の最初の都となった後、1648年、新たに都城を建設した。隣接するニューデリーは1911年にイギリスが建設した。

 インドのデリー=スルタン朝の各王朝の都とされた。1206年アイバクが建国した奴隷王朝、その後のハルジー朝トゥグルク朝の都として続いた。トゥグルク朝のスルタン、ムハンマドは一時、新都を南インドのダウラターバードに造営しようとしたが失敗した。1398年にはティムールがデリーを占領し、虐殺と略奪の被害に遭ったが、ティムールはすぐに引き上げ、その後のデリーはサイイド朝ロディー朝の都として続いた。
 1526年にロディー朝を破ってインドを支配したムガル帝国は、始め都をデリーに置いたが、アクバル帝がアグラに新都を築いて移った。

ムガル朝の新都

 後にシャー=ジャハーンの時、デリー=スルタン朝の都の近くに新たに都として1648年にシャージャハーナバードを建造した。七つの城門と八つの砲台を持つ赤い砂岩の城壁が市の中心部に建設されたよことから「赤い城」の意味でレッド=フォートと言われている。これが現在のデリー(旧デリー)である。
 1857年のインド大反乱(セポイの乱)では、反乱を起こしたシパーヒーがムガル皇帝を擁してデリーに立てこもり、一時は新政権を建てたが、イギリス軍によって鎮圧された。
 現在のニューデリーは、このデリーの東南に、1911年にイギリスがインド統治の首都として新しく建設した町である。

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