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帯方郡

後漢末に、楽浪郡の南半分を割いておかれた郡。邪馬台国卑弥呼も帯方郡を通じ魏に遣使した。314年、楽浪郡と同じく高句麗によって滅ぼされた。

 たいほうぐん。3世紀の初め頃(205年ごろ)、遼東太守であった公孫氏が、朝鮮の楽浪郡の南半分を割いて置いた郡で、その範囲は現在の北朝鮮に含まれる黄海北道・南道から軍事境界線の南、ソウル付近まで及んでいたと考えられている。
 設置した理由は、漢民族である公孫氏が、楽浪郡の東南部の濊(ワイまたはカイ)族や韓族を抑えるためであったと思われる。 → 帯方郡の位置

東アジアのキーステーション

 楽浪郡は漢の後、後漢に属していたが、遼東地方で有力となった公孫康が独立して帯方郡を建てた。後漢に代わったが将軍司馬懿(司馬仲達)を派遣して公孫氏を滅ぼし、238年に楽浪郡・帯方郡を支配した。邪馬台国の女王卑弥呼が帯方郡に使いをよこして魏に朝貢したのはこの翌年である。当時、魏の朝鮮支配を脅かす存在として高句麗が台頭していたので、魏は邪馬台国の遣使を受け入れる必要があったものと思われる。
(引用)そのころ中国の魏は、かつて公孫氏の政権が韓・濊(イエ)対策の強化のため新設した帯方郡を受け継ぎ、日本列島の倭をも視野に入れて、中国三分の危機にあたろうとしていた。帯方郡をキーステーションに、邪馬台国の卑弥呼をはじめ、韓・濊・倭が魏に結びついたのは、ちょうどこの頃、三世紀中頃のことであった。その様子は、陳寿が著した『三国志』魏書の東夷伝に、要領よく記述されている。<武田幸男他『朝鮮』1993 地域からの世界史1 朝日新聞社 p.40>
 このように帯方郡は、東アジアのキーステーションの役割を果たしている。武田氏は「帯方郡を中心としたネットワークが形成されていた」とし、卑弥呼の遣使もそのネットワークの中のできごとだったと評している。<武田幸男他『隋唐帝国と古代朝鮮』1997 世界の歴史03 中央公論社 p.301>

高句麗によって滅ぼされる

 魏は265年に帝位を司馬炎に奪われ(西晋)に交替すると、晋は275年に遼東・楽浪・帯方・玄菟など五郡を統治する平州を置いた。晋は280年に呉を滅ぼして中国を統一した。
 しかし、晋の司馬氏は一族が内紛を起こして290年ごろから八王の乱となり、その過程で中原に進出した匈奴が都洛陽を占領するという永嘉の乱が311年に起こって、晋は江南に後退し東晋となった。
 このような中国の混乱に乗じて東アジアで急成長したのが高句麗であった。高句麗の美川王はしきりに遼東郡に出兵し、本国と楽浪・帯方両郡の連絡を絶った上で、313年楽浪郡を占領して滅ぼし、翌314年帯方郡も滅ぼした。
 楽浪郡・帯方郡の滅亡、つまり漢民族による朝鮮半島支配の拠点の消滅は、本国における五胡十六国の激動、特に永嘉の乱が引き金であったことが重要である。
注意 帯方郡の滅亡事情と年代 山川出版社の『世界史用語集』2014年版 では、帯方郡は「(楽浪郡の滅亡の)その後、313年頃韓・濊(わい)に滅ぼされた。」とある。他の小辞典類も同様の記述となっている。しかし、帯方郡の滅亡は、直接的には高句麗の侵攻によってであるという説もある。高句麗の美川王が楽浪郡を313年に滅ぼし、翌314年さらに帯方郡に侵入して倒した、そのとき馬韓・弁韓など、朝鮮半島南部の韓民族も協力したものと思われる、という指摘もある。<井上秀雄『古代朝鮮』2004 講談社学術文庫 p.75-76>
 『朝鮮を知る事典』では、帯方郡の項で「(高句麗が帯方郡を滅ぼした313年と)ほぼ同じころ帯方郡も南部の韓・濊諸族によって併合され」とあり、百済の項では「314年に高句麗とともに帯方郡を滅ぼす・・」とある。高句麗の項では「(313年の)翌年高句麗は馬韓・辰韓などとともに帯方郡を滅ぼし・・」となっている。同じ事典でも記述が異なり迷わせるが、どうやら帯方郡を滅亡させた主体は単独ではなく、南北から迫った朝鮮の現地人が協力したことで可能だったというところであろう。<『朝鮮を知る事典』1986 平凡社 現在は2014刊の『新版韓国朝鮮を知る事典』がありますが未見です。>  → 楽浪郡の滅亡

出題

 06年 早稲田大(教育) 次の帯方郡に関する文章のうち、誤りを含むものを選べ。
 a.古代朝鮮半島の南北交通の拠点として、倭とも交渉した。
 b.後漢末期に楽浪郡の南部を割いて設置され、魏・晋に継承された。
 c.遼東半島に拠った中国系豪族の公孫氏によって設置された。
 d.楽浪郡と同様に、高句麗の攻撃によって滅亡した。

解答

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書籍案内

武田幸男他
『朝鮮』
地域からの世界史1
1993 朝日新聞社

井上秀雄
『古代朝鮮』
初刊 1972 NHKブックス
再刊2004 講談社学術文庫

『朝鮮を知る事典』
1986 平凡社