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貊/貊人/貊族

古代朝鮮・中国東北地方で活動したツングース系の人びとで高句麗を建国した。

 貊はハクと読み、貉の字をあてることもある。古代朝鮮の高句麗を建国した、ツングース系の民族。漢民族の歴史書には、古朝鮮・中国東北地方の民族として、濊(カイ)・貊(ハク)・韓が上げられており、そのうち濊貊は半島北部から中国東北地方にかけて活動していたらしい。濊貊は北方民族の総称としても用いられていたが、王莽の頃からその中の部族をそれぞれ意味するようになった。2~3世紀の中国文献では貊は鴨緑江流域の高句麗部族をさすようになる。<濊貊については井上秀雄『古代朝鮮』p.30-33 を参照>

扶余・高句麗・百済

 前2世紀後半ごろ、貊人の一部であった扶余(扶餘とも書く。民族名、国家名としての扶余)は、現在の中国東北地方の松花江方面に建国し、1~3世紀には鮮卑・高句麗とも対抗した。この貊人の一部が建てた国家としての扶余は、494年に同じツングース系の勿吉(モッキツ)によって滅ぼされた。勿吉は6世紀半ばに高句麗に滅ぼされ統合される。
 高句麗は建国神話では扶余の王族の朱蒙が建てたとされている。貊人の一部族であったものが分離し、漢の四郡の一つ玄菟郡が前1世紀ごろに衰えたことから自立したと考えられている。伝承によると前37年に建国したとされている。高句麗は313年楽浪郡を滅ぼし、4~6世紀に中国東北地方から朝鮮北部にかけて強大な国家となる。
 なお、さらに扶余の子孫は後に半島南部に移って百済を建て、馬韓と言われた韓民族の小国を従えた、という伝承もあり、百済は都を扶余(百済の都としての扶余、プヨ)と呼んでいた。
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