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倭の五王

5世紀、中国の南朝の宋に倭国の五人の王が遣使。朝鮮半島南部の権益の承認を求めた。

 5世紀に、倭国の五人の王が、相次いで南朝のに使いを送っていることが『宋書』倭国伝に記されている。その五人の王讃・珍・済・興・武を「倭の五王」と言っており、それぞれ日本側の正史である『日本書紀』の何天皇に当たるかが考証されている。有力な説としては、讃は応神か仁徳か履中、珍は反正か仁徳、済は允恭、興は安康、武は雄略の各天皇にあたるとされている。最後の倭王武の上表文は、大和政権が日本を統一した過程を示すものとして重要とされている。
「倭の五王」の宋朝への遣使とその結果与えられた称号で主なものは次のものである。
  • 421年 倭王讃、朝貢して爵位を受ける。
  • 438年 倭王珍、安東将軍・倭国王に任じられる。
  • 443年 倭王済、安東将軍・倭国王に任じられる。
  • 451年 倭王済、使持節都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東将軍・倭国王を授ける。
  • 462年 倭王済の世子興、安東将軍に任じられる。
  • 478年 倭王武、使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭国王に任じられる。

史料 宋書倭国伝

興死して弟武立ち、自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍倭国王と称す。順帝の昇明二年使を遣はして表をたてまつる。曰く、「封国は偏遠にして、藩を外になす。昔より祖禰(でい)躬ら甲冑を擐(つらぬ)き山川を跋渉し、寧処に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国(中略)」と。詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に除す。
※興は安康天皇と考えられる。武が雄略天皇。昇明二年は478年。毛人や衆夷は日本書紀の蝦夷、熊襲にあたる。
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書籍案内

石原道博
『新訂/魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』
1985 岩波文庫