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隊商交易/キャラバンサライ

砂漠、草原のオアシスをたどるラクダや馬による交易。西アジアから中央アジアにかけての乾燥地帯で広く行われ、隊商の宿泊施設キャラバンサライが各地に設けられた。

 中央アジアの草原や砂漠地帯のオアシスをたどりながら、広範囲な東西の交易に従事した商人たちは、ラクダや馬に乗り、荷物を運んだ。そのような商人たちの交易を隊商交易という。隊商を意味する言葉であるキャラバンはペルシア語に由来する。そのルート沿いのオアシス都市につくられた隊商宿をキャラバンサライという。
 紀元前2世紀から後1世紀にシリア南部(現在のヨルダン)からアラビア半島北西部にかけての隊商路をおさえたアラブ系遊牧民が建国したナバテア王国の繁栄は、世界遺産のペトラ遺跡にその跡を止めている。ナバテア王国は106年にローマ帝国に併合された。
 7世紀にアラビア半島のアラブ人の間に興ったイスラーム教が、西アジアからイラン、小アジア、北アフリカ、中央アジア、南アジア、東南アジアと拡がっていくと共にイスラーム商人のネットワークが形成され、広い範囲で隊商の交易路が開かれた。その交易路には、隊商の宿泊所であるキャラバンサライが作られていった。

Episode 砂漠の舟

ラクダ

ピラミッドとラクダ

 隊商で用いられた動物はラクダが最も優れていた。英語でラクダを camel というのは、雄ラクダを意味するアラビア語 jamal からきているという。紀元前3000年頃に家畜化し、アラブ世界では乗用、荷役用のほかに戦闘でも用いられた。ラクダは1頭で270kgほどを積んで運ぶことが出来るが、何と言っても最大の特徴は背中の瘤の脂肪を空気中の酸素と化合させて代謝水をつくり出すことが出来るという特殊な機能を持っていることで、「飲み溜め」ができたので、水無しで長距離を移動に適していた。また長いまつげや開閉できる鼻など砂漠に適しており、丈夫な歯と反芻胃は粗食に耐え、乳や肉は人間の食料となった。まさに「砂漠の舟」の役割を果たした。ラクダなしには砂漠の交易も成り立たず、イスラームの大征服もなしえなかったであろう。なお、アラブのラクダは一瘤で暑さと乾燥に強く、その他の二瘤ラクダは寒さと荒れ地に強いという。<『イスラム事典』平凡社 p.397>

キャラバンサライ

ヒヴァ

ウズベキスタン ヒヴァのキャラバンサライ跡
現在はバザールとして使用されている。まわりの2階に並んでいるのが隊商の宿泊する部屋。

 ペルシア語で「隊商宿」を意味する。交易路の要地に作られた宿泊施設で、隊商(キャラバン)の商人や巡礼、旅人が宿泊できる。7世紀からのイスラーム教を信奉するアラブ人の征服活動で、イスラーム世界に行き渡たり、その運営はイスラーム教の信者(ムスリム)の寄進であるワクフによって行われ、宿泊料は無料だった。
 隊商や巡礼の宿泊施設として作られた隊商宿以外にも、都市の商業施設スーク(バザール)に付属する商人の宿泊施設もキャラバンサライと言われた。アラビア語ではフンドゥクとも言われ、都市の中にいくつも建設され、2階が商人の宿泊する部屋、1階に事務所や商品を保管する倉庫が作られた。中央に円形で部屋に囲まれた広場があり、バザールとは通路で結ばれていて、卸売商が小売商に商品を卸す取引場になっていた。そこで取引される商品は絹織物、綿織物、毛織物から奴隷などもあり、多彩だった。  
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