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東トルキスタン

パミール高原の東、タリム盆地のオアシス地帯。現在は中国の新疆ウイグル自治区となっている。

 中央アジア、パミール高原の東側、テンシャン山脈とクンルン山脈に南北を挟まれた広大なタリム盆地のタクラマカン砂漠とその周辺のオアシス地帯をいう。現在は大部分が中華人民共和国の、新疆ウイグル自治区に属する。古来、イラン系オアシス商業民族のソグド人、モンゴル系の遊牧民が活動していたが、漢の武帝以来、中国の王朝も進出し、西域と言われるようになった。その後、トルコ系民族の遊牧国家突厥帝国の支配がおよんだ。ついでテンシャン山脈北部に成立した同じくトルコ系のウイグルが、キルギスに攻められて東西に分裂した後、この地には東ウイグル王国が入った。
 それ以前はこの地域のオアシス都市ではイラン系のソグド人が活動していたが、トルコ系のウイグルがパミール高原の東西の広い範囲に定住するようになって中央アジアのトルコ化が進み、トルキスタンが成立し、パミール高原を境にして、その東に当たるこの地は東トルキスタン、西のソグディアナ西トルキスタンといわれるようになった。
 9世紀以降は東トルキスタンには、西ウイグル王国があり、ウイグル文字の使用など、独自の文化を発展させたが、10世紀以降は契丹(遼)の支配下に入った。13世紀からはモンゴル帝国に支配され、17世紀にはモンゴル系のジュンガルが有力となったが清の康煕帝の侵攻を受けて、乾隆帝の時の1758年、清朝に組み込まれ藩部に統治される新疆と言われるようになった。
 中華民国の時代を経て、現在は中華人民共和国の領土とされ、1955年からは一定の自治を認められ、省と同格の自治区とされ、新疆ウイグル自治区といっている。しかし漢民族の支配に対して、イスラーム教徒であるウイグル人の反発は現在も続いていり、東トルキスタン独立運動は世界の注目を集めている。
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