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ジュンガル

17世紀に有力となったモンゴル人オイラト系の部族。天山山脈北部のジュンガル盆地にいたが、タリム盆地・モンゴル高原、チベットに勢力を伸ばした。しかし、清の康煕帝・乾隆帝の侵攻を受け、1758年に滅亡した。

 ジュンガルは17世紀に有力になったモンゴル人の部族。オイラト系。族長ガルダンはチベットのダライ=ラマと結び、内モンゴルのハルハ地方に進出した。康煕帝は内モンゴルに2度出兵してガルダンを攻め、ガルダンを自殺させた。
 ジュンガルはなおもチベットに入り、抵抗を続けたので、康煕帝は皇子をチベットに派遣しジュンガルの勢力を排除し、チベットを支配下においた。ジュンガルはその後もタリム盆地を拠点にウイグル人を支配し、清朝への抵抗を続けたが、雍正帝に続いて、乾隆帝時代にも激しい攻勢を受け、1758年に滅亡する。その支配領域は清朝藩部の一つ、新疆となる。
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