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モスク

イスラーム教徒の礼拝堂。イスラーム文化の代表的な建築様式であり、学校なども併設され重要な施設である。

 モスクはイスラーム世界の都市や村々に設けられ、イスラーム教信者の共同の礼拝場所であるが、それだけでなく、学問・教育の場でもある。中心部にはドーム(タマネギ型の丸屋根)の下に広い広間があり、信徒が集合して聖地メッカの方角を向いて礼拝するところがある。その中には簡単な説教壇とメッカの方向(キブラ)を示すミフラーブがある。ミフラーブは壁につけられたくぼみで、アーチ型の装飾が施されている。モスクの中庭には礼拝の前に身を清める泉が準備されていることが多い。モスクの周囲には、ミナレット(光塔)が配されており、礼拝の時を告知するためのものである。モスク建築は、イスラーム教の広がったところではどこでも見られ、基本的には同じ構造を持っているが、時代と場所によっていくつかのバリエーションが見られる。<詳しくは、深見奈緒子『世界のイスラーム建築』講談社現代新書 2005>

最初のモスク

 622年、メッカの大商人たちの迫害から逃れ、メディナ(マディーナ)に移ったムハンマドの、第一の仕事はモスクを建設することだった。始めに到着したクバーに礼拝所を定めたあと、後に「預言者モスク」として知られる中央モスクを建設した。といっても、周囲に壁を巡らし、ナツメヤシの木を柱として、一部にナツメヤシの葉で屋根を葺いた質素な建物であった。メッカにはまだモスクはなかったので、このメディナの「預言者モスク」がその最初であり、後のモスク建築の基準となった。
 モスクは、アラビア語の「マスジド」が訛って西洋語に入った言葉である。マスジドとは「スジュードする場所」を意味する。礼拝の最後の平伏礼で、信徒は額を床に付けてアッラーを讃えるが、それが「スジュード」である。唯一神に対する帰依者として、もっとも謙虚な姿勢が祈りの究極の姿、という考えが「マスジド」という命名に込められている。
 もっとも、ムハンマド時代のモスクは単なる宗教建築ではない。ここは、彼が弟子たちと合議をし、マディーナ(メディナ)を治める諸事について話し合い、ジハードの時代には軍事も議題となった。<小杉泰『イスラーム帝国のジハード』2006初刊 2016再刊 講談社学術文庫 p.82-83>

オスマン帝国のモスク建築

 モスクは、トルコ語ではジャーミーという。オスマン帝国のスレイマン1世の時代には、スレイマン=モスクなどの大ジャーミーが、建築家ミマーリ=シナンの手によって建設されている。
(引用)ジャーミー(モスク)の始まりは、622年である。イスラムの預言者ムハンマドが、その年メディナに移った時、信者たちが集まって祈る適当な建物がなかった。そこで、ムハンマドの家が、その祈りの場所となった。それで、ムハンマドの家が「ひれ伏す場所(マスジド)」とアラビア語で呼ばれるようになった。このマスジドが訛って、モスクとなったのである。<小説、夢枕獏『シナン 下』中公文庫 の一説。p.327>

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書籍案内

深見奈緒子
『世界のイスラーム建築』
講談社現代新書 2005

小杉泰
『イスラーム帝国とジハード』
講談社学術文庫 2016